鳳啓助
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唄啓のこれは得だすお聞きやす(CBCラジオ)

CM

陶陶酒(1970年代)

JR東海(1990年代)※啓助単独

書籍

「鳳啓助のポテチン闘病記」(鳳ハマ子※最後の夫人…姓はペンネーム、
毎日新聞社

レコード

「ポテチンワルツ」

「大阪ごころ」

エピソード
漫才について

1956年京唄子とコンビを結成。女性上位のしゃべくり漫才で、唄子が啓助に「このエロガッパ!」とツッコミを入れるのと、啓助が唄子に「わー大きな口に吸い込まれるぅ」と言って体を唄子に寄せる定番ギャグがあった。ネタはすべて啓助が作り、唄子は啓助の演出に従っていた。
所属事務所は当初上方芸能であり、
うめだ花月角座に出演していたが、のちに千土地興行に移籍して千日劇場を本拠とし、同劇場での舞台中継(読売テレビ)も放送された。1966年娯楽観光に移籍して事実上フリーになり、東京でも活動するようになる。
1970年に唄啓劇団を旗揚げして俳優活動に軸足を移し、以降は漫才活動を控えていたが、啓助の死まで正式な解散宣言はしていなかった。
その他

田渕岩夫太平シロー物真似する。スネークマンショーの音楽アルバム『スネークマン・ショー』収録曲「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」では、曲中で畠山桃内こと伊武雅刀が物真似を披露している。

ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」で『ホーミーを極めたい』(探偵:北野誠)という依頼があった際、ホーミーの発声法が鳳啓助の発声法に近いとされ、「鳳啓助は日本のホーミーの第一人者」と言われたこともあり、実際に本人も出演している(DVD Vol.8?大阪弁講座編に収録)。

弟子
直弟子

鳳らん太・ゆう太(らん太は現在猿まわしで活躍中。ゆう太は1975年に失踪)

鳳みい子(ゆう太失踪後にらん太が組んだ相手)

鳳キング・ポーカー(キングは後にトリプルパンチを結成。)

桃山こうた(漫談

孫弟子

峯山ゆり
(らん太の弟子)


脚注^ 日刊スポーツ 1994年9月10日付

外部リンク

鳳啓助 - goo 映画
- ウェイバックマシン(2004年8月20日アーカイブ分)










お笑いスター誕生!!
司会

山田康雄 - 中尾ミエ
審査員

桂米丸(審査委員長) - タモリ - 赤塚不二夫 - 京唄子 - 鳳啓助 - 東八郎 - 三波伸介 - 獅子てんや - 瀬戸わんや - 伊東四朗 - 近江俊郎 - 内海好江 - ガッツ石松 - 牧伸二 - 大山のぶ代 - 水野晴郎 - 横森良造 - 小松政夫
グランプリシリーズ
グランプリ獲得者

B&B島田洋七島田洋八) - おぼん・こぼん - ギャグ・シンセサイザー - 九十九一 - 小柳トム - とんねるず石橋貴明木梨憲武) - 青芝金太・紋太 - アゴ&キンゾーあご勇桜金造) - 怪物ランド平光琢也赤星昇一郎郷田ほづみ) - シティボーイズ大竹まこときたろう斉木しげる
ゴールデンルーキー賞シリーズ 優勝

ギャグ・シンセサイザー - アゴ&キンゾーあご勇桜金造) - ファニーズ
サバイバルシリーズ 優勝

キモサベ社中
オープントーナメント
サバイバルシリーズ 優勝

第1回:コントらぶこ?る - 第2回:パート2 - 第3回:コント山口君と竹田君 - 第4回:笑パーティーばんきんや松元ヒロ・石倉チョッキ) - 第5回:ちゃらんぽらん - 第6回:キャラバン(渡部又兵衛・松崎菊也・有本まこと) - 第7回:ウッチャンナンチャン内村光良南原清隆


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