脱官僚・政治主導を掲げ、国家戦略室と行政刷新会議を設置した。衆議院選挙で民主党は、子ども手当、高速道路の無料化などを政権公約に掲げていたが、財源の問題もあり不完全にしか実施されなかった。ほかに、事業仕分け、高等学校授業料無償化などが実施された。政策の決定には民主党幹事長の小沢一郎が強い影響力を行使していたとみられている。
初閣議では「国家戦略室」(法制化後に国家戦略局へ格上げする予定)の設置が鳩山から指示され、続く閣僚懇談会では事務次官等会議の廃止[7]と政府の公式見解の発表を政務三役(大臣・副大臣・政務官)に限る原則が確認され、「脱官僚依存」をアピールする形で内閣がスタートした[8]。9月18日には国家戦略室と並ぶ新政権の目玉として行政刷新会議の設置が閣議決定された。組閣直後の報道各社の世論調査では支持率が各社軒並み70%を超え、歴代2位もしくは3位となる高水準となった[9]。
新機軸として、国家戦略室、行政刷新会議を担当する国務大臣ポストが新設された。また、国家戦略担当大臣たる菅直人が内閣総理大臣臨時代理の第1順位に指定され、副総理の肩書きが与えられた[注釈 6]。副総理が設置されるのは第1次橋本内閣の久保亘(社民党)以来。なお、首相官邸には副総理執務室が用意されているが、官邸が竣工してから今まで一度も副総理が置かれなかったため、今回初めて使用されることになった。社民党・国民新党からそれぞれ党首(福島瑞穂、亀井靜香)が入閣、その他の閣僚ポストは民主党によって占められ、麻生内閣に引き続いて民間からの入閣はなかった。
なお、民主党が衆議院選挙前の野党時に「組閣」した第五次鳩山由紀夫「次の内閣」から実際に同じ役職に就いたのは21名中3名であった。また、2005年(平成17年)のマニフェストに謳われた「政権発足直後の混乱を回避するため、主要閣僚などを事前に決定したチームを作る」という構想は小沢一郎の意向を受けて頓挫した[10][リンク切れ]。
退陣共同通信による電話世論調査の支持率推移
内閣発足当初、支持率は70%を超えていたが、鳩山自身や小沢一郎の「政治とカネ」の問題・普天間基地移設問題を巡る混乱もあり支持率は急降下した。
普天間基地移設問題では自民党政権時代の日米合意をくつがえし基地の県外移設を追求したが実現できず、ほぼ原案に近い状態で決着させようとした[注釈 7][注釈 8]。この対応は社民党の連立離脱を招き[11]、民主党内では鳩山への退陣要求(鳩山おろし)が起こった[12]。内閣総辞職に際して花束を贈呈される内閣総理大臣の鳩山
鳩山内閣は2010年(平成22年)6月4日に内閣総辞職し、同時に小沢一郎を幹事長から退任させた[13]。後任には民主党の新代表となった菅直人が指名された。認証式が遅れたため鳩山内閣は職務執行内閣として6月8日まで存続した。鳩山内閣は政権交代から9か月弱で退陣に追い込まれた。在任期間は266日間で、2018年(平成30年)現在戦後に成立した内閣としては東久邇宮内閣(54日間)、羽田内閣(64日間)、石橋内閣(65日間)、宇野内閣(69日間)、芦田内閣(220日間)、幣原内閣(226日間)、細川内閣(263日間)に次ぐ8番目の短命内閣である。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ a b 2010年(平成22年)1月8日に内閣総理大臣臨時代理就任順位第4位の藤井裕久が財務大臣を辞任したため、第5位以下の閣僚の就任順位を繰り上げないし新たに設定。
^ 社民党の政権離脱による辞任。
^ 鳩山には民主党312、社民党7、みんなの党5、国民新党3が投票。若林には自民党119、山口には公明党21、志位には共産党9、平沼には国益と国民の生活を守る会3(城内実、平沼)、無所属1(中村喜四郎)。
^ 鳩山には民主党・新緑風会117、社民党5、無所属2(糸数慶子、川田龍平)が投票。若林には自民党・改革クラブ119、山口には公明党21、志位には共産党7、白票は無所属1(山東昭子)。
^ これは第二次世界大戦後の衆議院における一政党が占める議席数として、1986年総選挙において中曽根康弘総裁率いる自由民主党が獲得した304議席を上回り最大である。
^ 内閣法では、内閣総理大臣が欠けた場合は国務大臣が就くことを定めており、どの閣僚がその地位に就くのか事前に順位を指定することになっている。従前は内閣官房長官が第1順位に指定されることが通例となっており、麻生内閣でも内閣官房長官の河村建夫が第1順位に指定されていた。内閣官房長官以外の者が第1順位に指定される場合、指定された者は「副総理」と通称される。
^ @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ただし速やかに合意せず名護市長選まで引き伸ばした結果、民主党が推薦した反対派候補が名護市長となった時点でこの原案は実現不可能であると当の自民党から意見されている。[要検証 – ノート]
^ 第45回衆議院議員総選挙では民主党のマニフェストには明記されていなかったが、選挙中に鳩山自身が「最低でも県外」を口にしたことで事実上の「公約」になる。
出典^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、平成21年9月16日]
^ 『官報』号外「第172回国会衆議院会議録第1号」、平成21年9月16日付