鳩山一郎の提唱する「友愛」は、1938年に出版されたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの著書『The Totalitalian State against Man』(直訳: 全体主義国家対人間)[* 3][* 4]を原点としている。
元々、同書はクーデンホーフ=カレルギーのアメリカ亡命を手助けした日本人外交官・米澤菊二に贈呈したものである[20]。米沢の帰国後、本は早稲田大学教授・市村今朝蔵の手を経て鳩山に渡され、彼の手で邦訳されたのである[21]。(他の多数のクーデンホーフ=カレルギー本は、クーデンホーフ=カレルギーの依頼で1920年代後期に『パン・ヨーロッパ』を翻訳・出版した元外交官の自民党議員鹿島守之助(鹿島建設)により戦後、翻訳・出版された。)
鳩山は「Fraternity」(フラタニティ。元のドイツ語はBruderlichkeit ブリューダーリッヒカイト)を「友愛」と訳出、『自由と人生』の邦題で1952年(昭和27年)に洋々社から出版した[* 5]。
パン・ヨーロッパ論者・クーデンホーフ=カレルギー伯爵はナチス・ドイツにとって不都合な人物であった。伯爵はナチスに暗殺されるおそれすらあり、国から国へとヨーロッパ中を逃亡し、1940年、リスボンから米国へ亡命することになった。亡命の査証手続きに四苦八苦するクーデンホーフ=カレルギー伯爵を何かと手伝ったのがポルトガル公使館長・米沢菊二である[20]。伯爵が亡命に成功する1940年8月、それはナチス・ドイツが日本、イタリアと日独伊三国同盟を9月に締結する前月の出来事である。クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、伯爵を追うナチスと手を組んだ国家の大使でありながら伯爵の世話をした米澤との別れに際し、この『The Totalitarian State against Man』を贈った[20]。米澤は帰国後、国際ジャーナリスト松本重治に同書を貸し、松本は軽井沢で政治学者・市村今朝蔵(日本女子大・早大)に貸した[20]。市村は軽井沢の学者村「友達の村」の発起人であり、松本も参加していた。鳩山は軽井沢で市村から同書を受け取って翻訳したのである[20]。出版を強く勧めたのは政治評論家岩淵辰雄である[22]。
鳩山は友愛の普及に努め、彼の孫の代に引き継がれるに至っている。財団法人日本友愛青年協会は、鳩山一郎の「友愛」を、文字通りの友愛(Yuai)と紹介している。友愛は『自由と人生』で述べられる「友愛思想」「友愛革命」「友愛社会」に即した思想である。日本友愛青年協会の見解としては、友愛は体系化された理論ではなく、今後、人々が研究を深めることで完成されるという。
クーデンホーフ=カレルギーの思想に則った「友愛」が目指すのは、母性愛による優しい世界づくりである。各論は、相互尊重、相互理解、相互扶助、人道主義、人格主義、協力主義、騎士道、武士道、淑女紳士としての人間関係構築、などである[23] 。友愛運動の理念であるところの、人格の尊厳に基づく相互尊重、相互理解、相互扶助(または相互協力)を、友愛3原則という[24]。 1953年(昭和28年)、友愛を標榜する友愛青年同志会が結成され、鳩山一郎が会長に就任した。一郎は10万人の会員を率いる会長として政財界で指導力を発揮した。1959年(昭和34年)、友愛を更に広めるべく財団法人日本友愛青年協会が設立された(一郎の妻、薫が理事長就任)。1973年(昭和48年)、友愛青年同志会は友愛青年連盟に名称を変更。1998年(平成10年)、友愛青年連盟は財団法人日本友愛青年協会と合併し、2011年から一般財団法人日本友愛協会
友愛青年同志会
クーデンホーフ=カレルギーは鳩山の友愛青年同志会名誉会長を務めた。 フリーメイソンリーは友愛の団体である。日本のフリーメイソンリーに取材をしたジャーナリスト赤間剛の著書『フリーメーソンの秘密 世界最大の結社の真実』(1983年)によると、赤間がフリーメーソン・ライブラリーのカードを閲覧したところ、鳩山一郎は「1951年3月29日入会」「(ロッジ番号)No.2」とあった[25]。入会場所は「東京ロッジ No.125」[26]。 鳩山は河井彌八とともにフリーメイソン第二階級、第三階級に昇進した(1955年3月26日)[27][* 6]。 鳩山は「友愛精神」という言葉の他、「兄弟愛」という言葉を用いて昇進の挨拶をした(1956年6月5日)[28]。 クーデンホーフ=カレルギーもフリーメイソンであったが、伯爵のパン・ヨーロッパ連合がフリーメイソンと関係があると批判されていたので伯爵は1926年にウィーンのフリーメイソン・ロッジ「Humanitas」を辞めた。伯爵がこのロッジに所属していた事実はナチスが暴露した他あらゆる文献で確認できるが、他のロッジで再びフリーメイソンリーに参加したという話は出ていない(伯爵は生涯パン・ヨーロッパ連合を継続した)。
フリーメイソン
栄典
位階
1927年(昭和2年)5月2日 - 正五位[29]
1933年(昭和8年)2月15日 - 正三位[30]
1959年(昭和34年)3月7日 - 正二位
勲章
1934年(昭和9年)4月5日 - 勲一等瑞宝章[31]
1959年(昭和34年)3月7日 - 大勲位菊花大綬章
外国勲章佩用允許
1937年(昭和12年)1月25日 - フランス共和国:エトワール・ノワール勲章グランクロワ[32]
家族・親族父:鳩山和夫
祖父:博房(美作勝山藩士)
父:和夫(弁護士、代議士、衆議院議長)
母:春子(信州松本藩士・渡辺努(明治になって多賀に改姓)の長女、教育者、共立女子学園の創立者のひとり)
姉:カヅ(鈴木喜三郎に嫁ぐ)
姉夫:鈴木喜三郎(立憲政友会の総裁)
弟:秀夫(民法学者、嫁は千代子。息子は道夫)
弟嫁:千代子(数学者・菊池大麓の次女)
甥:道夫(鳩山秀夫の長男。ソニー常務取締役兼中央研究所所長)
甥孫玲人(上記の孫[33]、サンリオ取締役)
音羽御殿で孫の由紀夫 (中央) ・邦夫の兄弟とくつろぐ一郎
妻:薫(寺田栄の長女。教育者、共立女子大学学長)
長男:威一郎(大蔵官僚、参議院議員、外務大臣)
長男嫁:安子(ブリヂストン創業者・石橋正二郎の長女)
孫:和子(井上多門に嫁ぐ)
和子夫:井上多門
孫:由紀夫(第93代内閣総理大臣・2代、7代民主党代表)
孫:邦夫(元法務大臣・総務大臣)