鳥山明
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デザイン会社を退職後、1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが[26]、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店[42]で偶然手に取った漫画雑誌の『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた[43]。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する[29][44]。投稿したのはギャグ漫画であるが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分であったため[38][45]

投稿した作品は入賞には及ばないかったものの[46]、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ[38][47]「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした[44]。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており[47]、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった[38]

鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ[38][48]

鳥山明は本名である。デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した[29]。『Dr.スランプ』第11巻によれば愛知県に3軒しかない変わった名前で、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たという。そのため、“水田二期作(みずたにきさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた[28]。「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」であるという[29]。ただし、鳥山明のデビュー当時の愛知県の電話帳を調べると、名古屋版の五十音別電話帳に載っている、局番名古屋市と同じだが名古屋市でない地域の鳥山家は3軒であるものの、その他に名古屋市内の鳥山家が77軒載っている[49]。名古屋以外の愛知県の各電話帳にも合わせて300軒ほどの鳥山家が載っている[50]
Dr.スランプの連載Dr.スランプ』の完全版

1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、読者アンケートの結果は最下位であり[51]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。しかし、鳥嶋は鳥山の手を離すことなく「面白い漫画を作り上げよう」と打ち合わせを重ねた。そして『Dr.スランプ』の基本コンセプトが誕生した。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と決めており、則巻アラレは脇役と考えていたが、鳥嶋は「アラレを主人公にした方が良い」と提案した[52]。そこで、賭けをすることになった。鳥山が苦手とする、女の子を主人公とした作品を読み切りとして『ジャンプ』本誌に掲載し、読者アンケートで4位以下だったら千兵衛を主人公、3位以内だったらアラレを主人公にするというもの。賭けに乗る形で描いた作品が、1979年に発表した『ギャル刑事トマト』である。アンケートで3位を獲得、主人公はアラレに決まった。ただし、『Dr.スランプ』(ドクター≒千兵衛)というタイトルだけは譲らなかった[53][54]

1980年5・6合併号より『Dr.スランプ』の連載開始。瞬く間に人気作品となり、早々にテレビアニメ化が決定。タイトルに“アラレちゃん”と追加され、1981年4月より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてフジテレビ系列の水曜19時台枠で放送開始。一大ブームを巻き起こす。最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になる[55]など大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している[56]

ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り[57]、第6巻は初版220万部を記録した[57]

連載1年目は、睡眠は3日に1回[58]、最高記録となる6日連続徹夜[29]、ペン入れの記憶がない回がある[59][60]などと多忙を極めた。

『Dr.スランプ』連載中の1982年、松本常男(現キャラメル・ママ会長)により鳥山明公式ファンクラブ「鳥山明保存会」が運営開始される。松本は「最初は『Dr.スランプ・ファン・クラブ』と名付けるはずだったが、トリさ(鳥山明)を見て『保存』するしかない、ということでこの名前になった」と語っている[61]
ドラゴンボールの連載


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