鯨骨
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そして、日本人の価値観や宗教観から鯨文化(鯨信仰)および捕鯨文化と呼ばれる食文化鯨絵巻などの芸術に鯨踊り鯨唄などの芸能鯨漁神事や鯨供養祭などの祭礼が誕生し、そのなかで鯨骨は様々なかたちで利用されている。

下記記述以外の鯨食文化は、別項目「鯨肉」を参照。下記記述以外のクジラや捕鯨に関する文化および「鯨ベッコウ細工」については、「捕鯨文化」を参照のこと。
鯨骨料理

クジラの骨は食用には向かないが、軟骨は食用になり現在でも鯨料理として出される物として蕪骨(かぶらぼね)と呼ばれる鯨の頭の軟骨部分があり、魚のそれと同じく俗称で「氷頭(ひず)」とも呼ばれる。古くは延宝2年(1674年)『江戸料理集』の中で紹介されており、そのほかにも、寛延元年(1748年)『歌仙の組糸』や宝暦12年(1762年)の『献立筌』など多数存在し、細く削って乾燥した粕漬けや酒漬け、塩蔵など加工した物を三杯酢刺身汁物にしたものなど、加工法も調理法も多岐にわたる。

『鯨肉調味方』によればその他の部位の軟骨と思われる名称と調理方法が記載されている。以下はその料理と食材となる骨の種類と名称である。

刺身 - 蕪骨、扇骨、要骨、坊主皮骨、筒路骨、咽輪骨、数珠骨、障子骨。

酢ぬた和え - 腮骨。

辛し和え - 腮骨。

玉子とじ - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。

吸い物 - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。

味噌漬け - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。

粕漬け - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。


鯨細工

鯨細工(クジラ工芸品)とは、鯨骨のみならずハクジラの歯も加工した工芸品とその技術を指す。
鯨骨刀剣
縄文時代から生活必需品として鯨骨の利用があったが、装飾品と見られる鯨骨製の刀剣が日本各地の遺跡から見つかっている。青森県青森市三内丸山遺跡(約5,500- 約4,000年前〈紀元前3千年紀前後〉、縄文時代中期)では「クジラの骨刀」、長崎県壱岐市原ノ辻遺跡(約2,200年前〈紀元前3世紀〉)から「鯨骨製骨剣」、延宝4年(1676年)建立された青森県上北郡七戸町見町の見町観音堂には「鯨骨製青竜刀形骨」などがあり、形状も時代もさまざまである。このような技術が継続的に伝承されたかは定かでないが、江戸時代からの組織捕鯨の産業化に伴い、鯨細工という工芸品が巷に流通し、産業となった。
日本の鯨細工の用途


装飾品、装身具・アクセサリー

印鑑



根付

麻雀牌

世界各地の鯨細工
カナダやアメリカの先住民であり、北極圏に住むイヌイットは古くから捕鯨を生活の糧としてきた。鯨の骨も狩猟具として加工してきた歴史があり、近年においては海獣類や鯨の骨や歯を利用した工芸品を作成していて、その芸術性が高く評価されている。また、数少ない現金収入の手段ともなっているが、原材料の骨や歯は捕獲禁止がなされた種もあり、材料の入手が困難になっているものもある。
フランクス・カスケット
フランクス・カスケット(裏面)
1世紀に起こったユダヤ戦争の様子が浮き彫りにされている。イギリス、大英博物館所蔵。ニュージーランドマオリ族も伝承によれば、約500年前にはすでに座礁した鯨の利用がされており、日本などと同様に食料や油の利用から、鯨の骨を狩猟具として加工してきた歴史があり、現在も残滓としての骨や歯を工芸品として加工し、販売している。ただし、ニュージーランド政府は捕鯨反対の立場から座礁鯨の利用を認めておらず、イヌイット同様に材料の入手が困難になっている。フランクス・カスケット(Franks Casket)は、「Auzon Runic Casket (オーゾンのルーンの小箱)」「Auzon Casket (オーゾンの小箱)」「Auzon Franks Casket (オーゾンのフランクの小箱)」「フランクの小さな棺」などといった雅称でも呼ばれる、ルーン文字の記されたドイツの北東部で発掘された7世紀の古代の遺物である。不明な部分の多いルーン文字の体系の研究資料であり、鯨の骨でできており、精巧な装飾も施されている。
鯨骨と寺社

鯨の供養祀りために遺骸や神体として鯨骨を埋めることは、「鯨塚」や「鯨墓」などに代表され日本各地で見られるが、ここでは鯨骨自体が一種のモニュメントを兼ねている神社などを記述する。宗教的な意味合いはないが、クジラの生息域である南北極圏に近い、キリスト教教会にも門の装飾やモニュメントとして鯨の骨が、飾られている事例がある。
神社

鯨鳥居
戦前の色丹神社鯨鳥居とは神社の鳥居が鯨の骨でできている鳥居である。日本で最古のものは、和歌山県太地町の「恵比須の宮」の鳥居である。このことは井原西鶴の『日本永代蔵貞享5年(1688年)刊行に「紀路大湊 泰地といふ里の 妻子のうたへり 此所は繁昌にして 若松村立ける中に 鯨恵比須の宮をいはひ 鳥井に 其魚の胴骨立しに 高さ三丈ばかりも 有ぬべし」と記述があり、貞享5年以前から存在していたことが判る。ほかには、長崎県有川町海童神社に鯨鳥居があり、昭和48年(1973年)に日東捕鯨株式会社によって奉納されたが、記録によれば現在の鳥居は三代目であり、それ以前はどのような材料で鳥居が作られていたか判明していない。これらが現在、日本にある鯨鳥居の全てであるが、当時日本統治下の台湾の最南端の鵞鑾鼻にあった鵞鑾鼻神社、または、樺太にあった札塔恵比寿神社、北方領土色丹島の色丹神社の3ヶ所に鯨鳥居があった。以上の5ヶ所はそれぞれに、捕鯨に直接的、または、捕鯨基地などの間接的に係わる場所である。
鯨絵馬
愛媛県川之江市の川之江八幡神社にあり、川之江市で文久3年12月(1864年1月[3])に体長7mと11mの2頭のコククジラが捕獲された。


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