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パイドン』『メノン』においては、永遠の真理(イデア)を認識する方式として想起説を提示し、その前提として霊魂不滅説を唱えた。プラトンの霊魂不滅説は、後世の新プラトン主義教父哲学キケロスキピオの夢』を介してキリスト教圏にも伝わった。またアリストテレスの著作に『霊魂論』がある。
キリスト教詳細は「霊性 (キリスト教)」および「霊魂消滅説」を参照

旧約聖書では、ネフェシュ(ヘブライ語で「咽喉」の意)と表現される。これに聖なる霊(ルーアッハ。風、息の意)が入って預言がなされるという思想があった。エゼキエル書18章4節(口語訳)には「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」と書いてある。18章20節(口語訳)でも「罪を犯す魂は死ぬ。」と書いてある。

欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神(SPIRITV)及び肉体 (CORPVS) であり、錬金術ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。また、3という数からキリスト教では三位一体に比せられることも多かった。霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。

ここにおける霊魂は人間の本能のようなものであり、成長することはないと考えられていたのに対し、精神は理性のようなものであって成長するものであるとされていた。
古代インド
ヴェーダ、ウパニシャッド

『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ聖典では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神アグニなどの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。

後のウパニシャッドにおいては、死者の魂は、解脱する人の場合は"神道"を通ってブラフマンに至り、善人の場合は祖道を通って地上に再生する、と説かれた(「二道説」と呼ばれる)。そして解脱することがウパニシャッドの目標となった。

霊魂を示す言葉としては「アス」、「マナス」、「プラーナ」、「アートマン」といった言葉が使われた。その中でも「アートマン」はウパニシャッドの中心概念となっている。
サンジャヤ・ベーラッティプッタ

仏教興隆期のインドのサンジャヤ・ベーラッティプッタ来世に関する4つの問いを設け「来世は存在するか?」「来世は存在しないか?」「来世は存在しかつ存在しないか?」「来世は存在するわけでもなく、存在しないわけでもないか?」それぞれすべてに対して「私はその通りだとも考えないし、別だとも考えない、そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない」として確答を避け、不可知論の立場をとった。このような態度はゴータマ・ブッダの「無記」の立場と通じあう点がある、とされる[12]
初期仏教

ブッダが説いた初期仏教での「無我」は「霊魂がない」と解するのではなく「非我」の訳語が示すように、「真実の我ではない」と解すべきもの(自他平等の境地を目指した思想)である、ともされている[13]。俗に言われる霊魂とは全く異なる。
中国

道教では、魂魄すなわち「魂(こん、たましい)」と「魄(はく)」という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄はの思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。

中国の民間信仰では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び怒り哀しみ、懼れ、、惡しみ、欲望からなる。また、?屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる(三魂は「胎光、爽霊、幽精」「主魂、覚魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀陰、呑賊、非毒、除穢、臭肺」とされることもある)。

六朝時代には、道教と仏教の対立のなかで、霊魂にあたる「」の不滅をめぐる神滅不滅論争(中国語版)が起きた[14]明末には、イエズス会宣教師が中国と西洋の霊魂論を交えて論じた[15][16]
日本
日本での仏教

上記の初期仏教に関する解説とは異なり、ブッダは「無我」を説いて霊魂を否定した[17]、ともされる。近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等ではそのような図式で説明されていることが多い[18]

仏教では、六道の輪廻からの解脱を目的としている。死後、成仏(解脱)する事ができた者は、諸仏の持つ浄国(浄土)へ生まれ変わる。出来なかった者は、生前の行いにより六道のいずれかに生まれ変わる。その生まれ変わるまでの期間を中陰と呼ぶが、中陰時の立場を、民間信仰では霊魂と混同されることがある。

各宗派に対するアンケートで、死後の霊魂を信じると答えた僧侶の割合は日蓮宗80%、真言宗75%、浄土宗62%、曹洞宗52%、浄土真宗8%[19]
日本の古神道(民間信仰)、神道

古神道では、森羅万象マナが宿るとする。南洋の諸民族、中国などに共通した思想があった。折口信夫『霊魂の話』によれば、肉体から容易に遊離し、付着すると考えられた。

優れた事績を残した人物の霊魂は、尊と同等の人格神、あるいはこれに相当する存在となるとされる。国家神道明治以降、戦死者の魂のことを敬っていう場合は特に「英霊」(えいれい)[20]と呼んでいる[注釈 2]

その区別や概念も曖昧であり、それを分類や定義付けることなく享受してきた。ただし、強弱や主客といえるような区別は存在し、大きいもの(巨石・山河)や古いもの長く生きたものが、その力が大きいと考えると同時に尊ばれた。

日本神話にある、人格神などの人としての偶像を持つ神々も信仰の対象とし、「それらの神がその他の森羅万象の神々を統べる」という考え方に時代とともに移っていった。

また神(霊魂)には荒御魂和御魂という魂の様相があるとし、それぞれ「荒ぶり禍をもたらす魂」と、「和ぎり福をもたらす魂」とされる。[21]
神霊

(みこと)日本神話にある人格神(人と同じ姿かたちと人と同じ心を持つ神)

霊(チ)霊魂の基本となる言葉。血や乳(チ)に通ずるという。

(タマシヒ)強い付着性、遊離性を持つマナ

荒御魂(アラミタマ)柳田國男『先祖の話』によれば、新たな御霊(ミタマ)つまり最近死んだものの魂


霊(ヒ)全ての活力の元であり、優れて威力のあるもの。白川静『字訓』によれば、中国で生命の原動力が雨に求められたのに対し(なので雨の字がつく)、日本では太陽光から来ると考えられたので、日と同じヒと呼ばれる。

実在調査

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イアン・スティーヴンソンによる調査「イアン・スティーヴンソン 」も参照

転生を扱った学術的研究の代表的な例としては、超心理学研究者・精神科教授のイアン・スティーヴンソンによる調査がある。スティーブンソンは1961年にインドでフィールドワークを行い、いくつかの事例を信頼性の高いものであると判断し、前世の記憶が研究テーマたり得ることを確信した[22]。多くは2?4歳で前世について語り始め、5?7歳くらいになると話をしなくなるという[23]。竹倉史人は、スティーヴンソンの立場は科学者としての客観的なもので、方法論も学術的であり、1966年の『生まれ変わりを思わせる二十の事例』は、いくつかの権威ある医学専門誌からも好意的に迎えられたと説明している[24]

スティーブンソンの前世研究は、世界的発明家チェスター・カールソンパトロンとして支え、子供たちが語る前世の記憶の真偽を客観的・実証的に研究する The Division of Perceptual Studies(DOPS)がヴァージニア大学医学部に創設された[25]


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