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「おに」の語は「おぬ(隠)」が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味する、との説が古くからある[注 1]

古くは、「おに」と読む以前に「もの」と読んでいた。平安時代末期には「おに」の読みにとって代わられた「もの」であるが、奈良時代の『仏足石歌』では、「四つの蛇(へみ)、五つのモノ、?」とあり、用例が見られ(仏足跡歌碑#与都乃閇美伊都々乃毛乃を参照)、『源氏物語』帚木には、「モノにおそはるる心地して?」とある。これらの「モノ」は怨恨を持った霊 = 怨霊であり、邪悪な意味で用いられる(単なる死霊ではなく、祟る霊)。
人と鬼

人に化けて、人を襲う鬼の話が伝わる一方で、憎しみや嫉妬の念が満ちて人が鬼に変化したとする話もある。代表的な例としては、の「鉄輪」や「紅葉狩」に、嫉妬心から鬼と化した女性の話が伝わっている。「般若の面」はその典型である。

梁塵秘抄』(平安時代末期に成立)には、女が男を呪った歌として、「?角三つ生ひたる鬼になれ?」と記されており[6]、このことから12世紀末時点で、人を呪いで鬼にしようとしたこと、また、頭に角が生えた鬼といったイメージが確立していたことが分かる。これは自発的に鬼になる事例とは異なり、相手を鬼にしようとした例と言える。

修験道役行者の使い鬼である前鬼・後鬼は、共にその子孫が人間として、その名の村(前鬼村。現・下北山村)を構えている。仏教でも似た例はあり、比叡山の八瀬の村の伝承には、村の祖先は「我がたつ杣(そま)」の始めに、伝教大師(最澄)に使われた鬼の後裔であると称している(※八瀬童子も参照のこと)。このように、宗教界の偉人の使い鬼を先祖とする例が散見される。折口信夫の解釈では、八瀬の伝承は、本来、鬼ではなく、神であり、仏教を受け入れたことによる変化としている[7]

珍しい事例として、『今昔物語集』巻20第7に記された話には、藤原明子の物の怪を祓った縁から親しく交際するようになった大和国葛木金剛山の聖(ひじり=僧侶、信濃国の山中出身で肌は赤銅色)が、のちに暗殺者の追手を逃れ、崖から転落しながらも生き延び、再会した時に「聖の道を捨て、恋愛の鬼となった」と語る場面がある。鬼の容姿は裸で頭は禿頭、身長は8尺、肌は漆を塗ったかのように真っ黒で、目はまるで金属製の御椀が入っているかのよう、大きな口には鋭い歯と牙、赤い褌を締めて腰には槌を指していたという[8]。山賊のような凶悪な存在ではないが、朝廷で無用者扱いを受けて、鬼(または、天狗)扱いをされ、聖自身も恋愛の鬼となったと悟る。鬼であると自他共に認めてしまうが、藤原明子が没する晩年まで交際を続けた。
仏教の鬼

生前に貪欲であった者は、死後に
餓鬼道に落ち、餓鬼になるとされている(小泉八雲「食人鬼 (小説)」)。

地獄閻魔の配下として、鬼が獄卒の役を務めているとされる(牛頭馬頭阿傍羅刹)。

時に民俗芸能においては、先祖の祖霊を鬼と捉える事があり、盆や正月に鬼を招く祭礼が各地で行われている(国東半島修正鬼会、三河の花祭(霜月神楽)など)。

中国の鬼

中国で鬼(.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: gu?〈グゥイ〉)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す[注 2]。日本で言う「幽霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国語では、直接『鬼』と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。

中国文学者・駒田信二によれば、中国では幽魂・幽霊・亡魂・亡霊などが人間の形で現れたものを鬼といい、多くは若い娘の亡霊で、この世の人間を恋い慕って情交を求めてくる。見た目は人間と変わらないばかりか、絶世の美女であることも多いため、現れるのを待ち望んで契りを結ぶ話(唐『才鬼記』、「州長官の娘」)や、別れをかなしむ話(六朝『捜神記』、「赤い上着」)、再会の約束をはたそうとする話(唐『酉陽雑俎』、「夫人の墓」)などもある。人間に生きかえる話(唐『広異記』、「生きかえった娘」)や、子供を生む話(「赤い上着」)、妊娠中に死んで墓の中で子を生み育てる話(宋『夷堅志』、「餅を買う女」)、密通により身ごもる話(宋『夷堅志』、「孕った娘」)などもあり、一般には、人間は亡霊と情交しつづけているといずれ死ぬ、というのが中国の亡霊(鬼)説話の主流であるという[9]

日本でも教養ある平安貴族の中には、死霊の意味で「鬼」という言葉を用いている事例があり、藤原実資関白藤原頼通が伯父藤原道隆の「鬼霊」[注 3] によって病に倒れた(『小右記』長元2年9月13日・18日条)と記し[10]藤原頼長鳥羽法皇の病が祖父白河法皇の「鬼」に憑かれたものである(『台記』久安元年12月4日・11日条)と記している[11]。また、この時代に描かれたと推測されている『吉備大臣入唐絵巻』にも、奈良時代に唐で客死した阿倍仲麻呂が家族のことを心配して遣唐使時代の同僚であった吉備真備の元へ鬼の姿で現れるが、赤い褌をした裸の姿で、頭には一本角と逆立つ髪の毛、真っ赤な肌、大きな口に鋭い歯、手足の指は3本ずつ、という姿になっていた。これを見た真備は人に会う格好ではないと追い払ったところ、後日になって今度は衣冠を整えた仲麻呂が再び真備を訪れたが赤い肌と3本指は隠せなかった様子が記されている[8]

また、中国では鬼とは亡者(幽霊)に限らず、この世のものでないもの、化け物全般を指す言葉でもあり、貝塚茂樹によれば、鬼という字は「由」と「人」から成り立っており、人が由、すなわち大きな面をかぶっている形を表したもので、古代国家の祭祀の主宰者であった降霊術を行うとき、異形の面をかぶった姿を象形化したものであろうとされている[12]


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