高等専門学校
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高等専門学校設置基準では、学級定員は40人を標準としている[注釈 6]
学生数

平成26年度(2014年度)の文部科学省学校基本調査」によると、国公私立全高専の在学生は2014年(平成26年)5月1日現在、本科、専攻科、及び聴講生・研究生等をあわせて5万7,677人(男子4万7,905人、女子9,772人)、本科のみでは5万4,354人(男子4万4,970人、女子4,384人)、専攻科のみでは3,262人(男子2,884人、女子378人)であった。また、2014年(平成26年)3月の本科の卒業者数は1万307人(男子8,598人、女子1,709人)、うち大学編入等(専攻科を含む)の進学者は4,047人、就職者は5,945(正規5,934人、非正規7名、臨時4名)、専修学校・海外の学校等の入学者は122人、その他193名となった。

文科省高等教育局専門教育課の調査によると、2014年度(平成26年度)の全高専の本科の入学定員は、1万580人(国立9,400人、公立720人、私立460人)、また、学校基本調査によると、2014年度(平成26年度)の本科の志願者数と入学者数は、それぞれ1万9,197人(男子1万5,870人、女子3,327人)、1万969人(男子8,973人、女子1,993人)だった。
歴史
創設までの経緯

日本は、第二次世界大戦敗戦後、「教育の民主化」[注釈 7]などを求めたアメリカ教育使節団の勧告により、学校体系を「6・3・3・4制」(小学校6年間・中学校3年間・高等学校3年間・大学4年間)に一本化する単線型教育制度を導入するなどの学制改革を行った。これにより、旧制専門学校と、旧制高等学校を経て入学する旧制大学とに分化・階層化され、互いに交わることのなかった複線型教育制度が廃止された[注釈 8]

1950年代(昭和25年-昭和34年)に入ると、吉田茂首相の私的諮問機関・政令改正諮問委員会は、教育体系の例外として高校3年と大学の2年または3年をあわせた5年制または6年制の農・工・商・教育等の職業教育に重点を置く「専修大学」(学校法人専修大学の設置する大学を指すものではない)制度の創設を答申。旧・中央教育審議会は、これに追随する答申をまとめた。日経連経団連などの財界・産業界も、敗戦後の急激な工業化に即応するため、戦前型の旧制工業専門学校に見合う中級技術者養成を目的にした教育機関の新設を要求する「科学技術教育振興に関する意見」(日経連、1957年(昭和32年)12月)、「専科大学制度創設に対する要望意見」(日経連、1960年(昭和35年)12月)などの文書を次々と発し、制度の具現化を求めた[注釈 9]

政府は、これらの動きに対応して、専科大学制度を創設するため、学校教育法等の一部を改正する法律案[13]1958年(昭和33年)の第28回国会に上程。だが、日本短期大学協会は、暫定的な制度とされるも大学の一類型と見なされていた短期大学制度が専科大学に「格下げ」になるのではないかと反発。野党も「戦前の差別的な複線型教育制度を復活させるものだ」として反対したことから、第30回国会[14]、第31回国会[15]と3度法案を上程し、第30回国会、第31回国会では衆議院は通過するも審議未了廃案となった。

そのため、政府は、専科大学に代えて高等専門学校制度の創設を策定。専科大学は「深く専門の学芸を教授研究」を目的としていたものを、高等専門学校は「大学」の呼称を外したうえで「研究」目的を除外。さらに、工業分野に限定するなどの手直しを行い、大学・短期大学とは異なる教育制度であることを明確にしたうえで、第38回国会に学校教育法の一部を改正する法律案[16]として上程。その結果、与党の賛成多数により、成立し1961年6月17日に昭和36年法律第166号として公布された。
創設後の沿革

高専法の成立を受け、全国各地の自治体は高等専門学校の誘致合戦を展開、設置初年度の1962年(昭和37年)には、国立12校(1期校と呼称)が開校した。以後毎年10校前後が開校し、数年のうちにほぼ現在の学校数となった。全体で1,500人ほどの募集だった国立高専1期校は、平均17倍の志願倍率となり、これに刺激を受けた他の都道府県もいっそう強力に高専誘致を推し進めた結果、短期間のうちにほぼ全国に設置されるに至った。また、国立高専1期校の開校と同時に、公立は東京都立の2校(工業高専航空高専)、私立は金沢高専(現国際高専)、熊野高専(現 近畿大学高専)など5校が開校した。

さらに、1967年(昭和42年)には国立商船高等学校5校が、1971年(昭和46年)には国立電波高等学校3校が高専に昇格。1974年(昭和49年)には複合学科を特色とする徳山高専八代高専が開校して、国立高専の新設は一応の区切りを迎えた。その後、2002年(平成14年)に沖縄高専が設置され、2004年(平成16年)から学生の受け入れを開始した。

なお、商船、電波以外のほとんどの国立高専は新設校であったが、長岡高専宇部高専久留米高専の各校は、高専制度の創設に先行して設けられた国立工業短期大学が前身である[注釈 10]高知高専は暫定的に私立校として設置され、開校翌年、国立に移管された。このほか、都立2高専[注釈 11]や神戸市立六甲高専(現 神戸市立高専)、聖橋高専(現 埼玉工業大学)は工業高校から昇格し、大阪高専(現 摂南大学)は大阪工業大学に併設された各種学校(専科大学コース)が前身となり、大阪府立高専は大阪府立大学工業短期大学部第一部の廃止に前後して同一の敷地に新設されるなど、公立・私立にも既存の学校・短大を改組したところがある。


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