高等官
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1945年(昭和20年)の敗戦の後、1946年(昭和21年)4月1日に官吏任用叙級令(昭和21年勅令第190号[26])を公布・施行したときに、高等官官等俸給令の廃止等が行われ[2]、「高等官」は「一級又ハ二級ノ官吏」に改められた[27]
大日本帝国憲法下の官吏高等官は、官吏のうち、親任官・勅任官・奏任官を指す。

日本国憲法の下では、国の職員を全て国家公務員と呼ぶのに対し、大日本帝国憲法の下では、国の職員を官吏とそれ以外の者(雇員、傭人、嘱託など)とに身分的に区別した。

官吏は、公法上の特別権力関係に基づき、忠順無定量の勤務に服し、厚い身分保障と特権(俸給や恩給の支給など)を伴った。官吏は、天皇が直接または間接に任官大権(大日本帝国憲法第10条)に基づいて任命し、具体的な任命のあり方に応じて、親任官勅任官奏任官および判任官の身分的区分が定められた。このうち、親任官、勅任官および奏任官は、高等官とされた。

高等官には、文官と武官の区分があった。任用については、文官は高等文官試験に合格した者を任用する方法が、武官は陸軍士官学校海軍兵学校を卒業した者を任用する方法が、それぞれ主流である。ただし、文武官とも、判任官から昇進した者を任用する方法もあった。
親任官詳細は「親任官」を参照

親任官は、高等官の最上位であり、官吏の最高位でもあった。親任官は天皇が直接任命する形式を採り、官記(辞令)には天皇の署名である御名御璽とともに、内閣総理大臣副署した。

親任官にあたる職には、内閣総理大臣企画院総裁、情報局総裁、技術院総裁、国務大臣軍事保護院総裁、特命全権大使、行政裁判所長官朝鮮総督、朝鮮政務総監、台湾総督東京都長官枢密院議長、枢密院副議長、枢密顧問官、検事総長会計検査院長陸軍大将海軍大将などが親任官にあたる[28]。親任官は天皇が親任式を以ってこれを任ずることになっており、現行制度の認証官は任命権者がこれを任免する際に天皇がその任免を認証することになっている。
勅任官詳細は「勅任官」を参照

勅任官は、上位の高等官で親任官をこれに含む。親任官を除く外の高等官を9等に分け、親任官及び一等官・二等官を勅任官とした[23]。親任官を除く外の勅任官は内閣総理大臣が記名した官記を交付したが、併せて御璽も押印した[29]

親任官を除く外の勅任官にあたる職としては、文官の内閣書記官長、法制局長官、賞勲局総裁、企画院次長、情報局次長、技術院次長、特許庁長官、各省次官、防空総本部次長、専売局長官、帝国大学総長、官立大学長、軍事保護院副総裁、食糧管理局長官、通信院総裁、気象技監、特命全権公使、大使館参事官、大使館商務参事官、行政裁判所評定官、東京都次長、警視総監、各府県知事、貴族院書記官長、衆議院書記官長、南洋庁長官、北海道庁長官、樺太庁長官、武官の中将と少将などがある[30]。1891年(明治24年)7月以後の高等官の俸給に関する制度では従前の官等に応じた等級俸から職給俸に改めて、特に勅任官並びに勅任及び奏任の局長の俸給ついては官職毎にその年俸を指定しており、現行制度における指定職では職務給の理念に沿って官職毎に給与を定めている。陸軍中将の辞令書(御璽が押印されている)

昭和21年の高等官官等俸給令の廃止等により一級官吏となった[31]
親補職詳細は「親任官#親補職」を参照

親補職とは、終身官である陸海軍将校について定められたもので、同じく終身官である司法官にも設けられた。武官に於いては親任官である陸海軍大将若しくは勅任官(高等官一等)である陸海軍中将をもってこれにあてることができる職である。実際には、おおむね陸海軍中将が親補されていた。例外としては陸軍中将を以って充てる職となっている師団長[32]であるが、これは平時における最大の編制単位として天皇に直隷するため、親補することになっていた。

陸海軍将校は終身官でありその官階を理由なく失うことはないことから、親任官たる陸海軍大将は異動した場合や退役した場合でも親任官のままであるのに対して、親補職はその職にある間に限って親任官としての待遇を受け、異動して親補職以外の職についた場合や退役した場合には、元の勅任官としての待遇に戻された。

親補職にあたる武官の職としては、参謀総長軍令部総長教育総監総軍総司令官師団長などがある。
奏任官詳細は「奏任官」を参照高等官四等(広島県警察部長)の辞令書

奏任官は、高等官のうち三等官から九等官までとした[23]。内閣総理大臣の奏薦または内閣総理大臣を経由した主任大臣の奏薦により、天皇の裁可を得て、任命する形式を採った[29]。武官では大佐から少尉までが奏任官とされた[30]

昭和21年の高等官官等俸給令の廃止等により二級官吏となった[31]
高等官の任用

文官は、高等文官試験(高文)に合格して採用されるのが基本であるが、勤務期間や成績により判任官から昇任することも可能であった。

武官は、陸軍士官学校・陸軍航空士官学校や海軍兵学校・海軍機関学校といった軍学校(補充学校)を卒業して任用されるのが一般的である。ただ、判任官に相当する准士官准尉など。陸軍では将校待遇)や下士官曹長など)や、国民の義務たる徴兵にて補充されるため官吏に当たらないから昇任する方法もある。

昇任により任用する場合の例としては次のようなものがある。陸軍では、少尉候補者甲種幹部候補生などを経て、少尉(高等官八等:奏任)に任用した。海軍では、勤務期間と成績により准士官・下士官を経て、特務少尉(高等官八等:奏任)に任用した。なお、高等商船学校出身の海軍予備員たる海軍将校も召集中か否かに関わらず、任官と同時に高等官になった。
その他

官庁には「高等官食堂」と「判任官食堂」があった。地方庁では、見習いは高等官食堂に入った。属
(見習い)として採用されても高等文官試験に通ると辞令を待たずに「高等官食堂」を利用できた。

高等官と判任官とでは机の大きさと椅子の構造まで違った。

高等官は年俸、判任官は月給。所属の官庁により、また職により給与の額は異なっていた。本給の他に様々な手当が加算された。

高等官三等(奏任官)から二等(勅任官)に上がれるかが、高文官僚の人生の分かれ道だった。高等官三等は「三丁目一番地」と呼ばれ、重要視された。

文部省内の高等官に限り、直轄学校の教授を三年以上すれば文部書記官になる資格が認められていた。

戦前の国鉄は、鉄道省の直営事業で、現業の鉄道職員も公務員であった。現業員は吏員と呼ばれ、官吏とは見なされなかったが、大都市や地方鉄道局が所在するなど、一等駅の駅長は高等官であった。初代東京駅長の高橋善一は高等官三等一級であった。

大きな神社の宮司は高等官であった。勅任官、奏任官、判任官に分かれて、お祭の時の祭服は色が違った。勅任官は黒、奏任官は赤、判任官は空色であった。宮中の式などに出る場合は、祭服は着ずに金モールの文官大礼服を着た。

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