さらに武徳9年(626年)には太史令傅奕の十一箇条の上奏文の内容に基づいて、高祖は仏教と道教をともに廃毀する詔を発した。それは40余年前に北周の武帝が衛元嵩の上表文をもとに仏道二教を廃したのを彷彿とさせる措置だった。その詔によれば、徳行ある僧尼や道士女冠は大寺や大観に住せしめて、その他の者は還俗させ、長安には寺3か所、道観2か所を残し、天下の諸州にも各1か所を残して、その他はことごとくく廃毀させることを求めた。しかし同年6月4日の玄武門の変によって高祖は退位したため、詔の内容が実施に移されることはなかった。 崩御後に大武皇帝と贈られたが、後に高宗により神堯皇帝に改められ(674年)、続いて玄宗により神堯大聖皇帝(749年)、さらに同じく玄宗により神堯大聖大光孝皇帝(754年)と改称された。 北周武帝 北周宣帝 北周静帝 太字は没後の追諡・封贈・追贈[7]。
諡号
系図
宇文泰 北周孝閔帝
北周明帝 皇后楊麗華
(隋楽平公主)
北周明敬皇后
北周襄陽公主
竇夫人 李建成
竇毅 李世民
(唐太宗)
李虎 李モ 李玄霸
李淵
(唐高祖) 李元吉
独孤氏 唐平陽公主
独孤信
隋文献皇后
楊勇
隋文帝 隋煬帝 楊昭 隋恭帝侑
宗室唐高祖李淵
正室:竇夫人(贈太穆皇后) - 即位前の正室
長男:息王 李建成 - 暗殺後、高宗のときはじめ息王を封贈、のち隠太子を追贈
次男:李世民(太宗) - 第2代皇帝、李建成暗殺後に立太子、高祖退位をうけて即位
三男:李玄霸 - 高祖即位前に早世、高宗のとき衛王を封贈
四男:斉王 李元吉 - 暗殺後、高宗のときはじめ海陵郡王を封贈、のち巣王を追贈
三女:平陽公主 - 柴紹に降嫁
側室:万貴妃
五男:楚王 李智雲
側室:尹徳妃
八男:?王 李元亨
側室:宇文昭儀 - 宇文述の娘
十一男:韓王 李元嘉
十九男:魯王 李霊?
側室:貴嬪 莫麗芳
六男:荊王 李元景
側室:楊貴嬪 - 楊寛の子の楊文紀の娘
側室:嬪 崔商珪[8]
十七男:ケ王 李元裕
側室:孫嬪
七男:漢王 李元昌
側室:楊嬪 - 楊素の娘
二十男:江王 李元祥
側室:張嬪
側室:小楊嬪
十八男:舒王 李元名
側室:張?、
九男:周王 李元方
側室:郭?、
十男:徐王 李元礼
側室:劉?、
十六男:道王 李元慶
側室:薛?、 - 薛道衡の娘
側室:張美人
十四男:霍王 李元軌
側室:楊美人
十五男:?王 李鳳
側室:王才人
十二男:彭王 李元則
側室:魯才人
二十一男:密王 李元暁
側室:宝林 張寵則[9]
十三男:鄭王 李元懿
側室:柳宝林
二十二男:滕王 李元嬰
生母不詳の子女
長女:長沙公主