高田純次
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自由劇場は1年で退団し、イッセー尾形とともに劇団「うでくらべ」[12] を結成するが[1] 、半年ほどで解散した[13][14]

その後結婚したが、劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に(御徒町にあった)宝石販売会社「トキモト」に入社し、宝石営業とジュエリーデザイナーの掛け持ちとなった[7]

自由劇場の研究生時代からの知り合いだった柄本明と、偶然新宿の居酒屋で再会したことをきっかけに会社を辞め[15]1977年に「劇団東京乾電池」に入団する[1]。しかし当初は売れず、妻子を養うために「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」と本人は語っている[7]

テレビデビューは32歳の時で、出演番組は『笑点』だった[13]。その後、東京乾電池の綾田俊樹ベンガルらと共に『笑ってる場合ですよ!』で初めてテレビレギュラーとなった[16]1985年1月、テレビドラマ『毎度おさわがせします(TBS)』で、主人公を演じる木村一八の担任教師役にてレギュラー出演した。

1985年4月、ビートたけし冠番組天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に、1996年10月に番組が終了するまでの11年間レギュラー出演した。また、 フジテレビのバラエティ番組『オレたちひょうきん族』の番組内コント「タケちゃんマン」では、タケちゃんマンの敵役として初回から出演しており、ブラックデビル初登場回には高田が務めたが[17]、収録後におたふく風邪に罹患したため[17]、「ひょうきんベストテン」の司会だった明石家さんまが代役を務めた。以降、たけしとの掛け合いが人気となり、そのままさんまがキャラクター出演を継続した[18]

1988年に出演した中外製薬グロンサン」(現在はライオンから発売)のCMが話題になり、CMのキャッチコピー「5時から男」で新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞した。

1989年に東京乾電池オフィスから独立し、テイクワン・オフィスを設立した[2]

1990年代には『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』でのキャラクターが人気を博した[19]。その他、『象印クイズ ヒントでピント』、『どうぶつ奇想天外!』など多くのクイズ番組にレギュラー解答者として出演した。

また、1994年からは中京テレビにて東海地区グルメ情報番組『PS[注釈 2] の司会を務め、同番組は名称を一部変更し、現在でも長寿番組として人気を博している。

古希を過ぎてからも“テキトー男”のキャラクターでバラエティ、ドラマ、司会などマルチに活動している[4]
人物
俳優業

本業は俳優、とされており[20]、代表作に西村京太郎トラベルミステリー亀井刑事(警部補)役などがある。長年役柄でコンビを組む高橋英樹は、「芝居に関しては、とにかくすごく真面目」と、バラエティ時でのちゃらんぽらんな姿とは全く正反対の顔をしていると評価している[21]。この他、青島広志作曲のオペラ「火の鳥 ヤマト編」の初演時(1985年)に出演している[22]。『陰の季節』シリーズの、大黒警視長役のように、冷酷なエリート役、インテリ役でも抑制的な演技で似合ったところを示している。
タレントショップ

1988年に東京渋谷区神宮前に「Neichi-Ya」というレストランをオープンした。また原宿・竹下通り路地裏では洋品店「SPORTS-KISS」を開店し主にTシャツやトレーナー、小物などを取扱っていた[23]がその後両店とも閉店している。

芸風

司会を務める番組や、ゲスト出演する際に、「こんにちは(こんばんは)、
ジョニー・デップです」やアンジェリーナ・ジョリージョージ・クルーニーロバート・デ・ニーロ等と明らかに嘘の自己紹介をするのが定番のつかみギャグとなっている。

「オレはイタリア語がペラペラなんだけど、意味はわからないんだ[24]」「キミ、松嶋菜々子に似てるって言われない?言われないの?じゃあ、似てないんだね[24]」「ホウレンソウ(ビジネスマナー報連相)は、おかかにお醤油がベスト。ソースをかけたことあるけど美味しくない[25]」など、数々の適当が特徴で売り物。

本人曰く、「本当は前を出したいがダメだから」と番組収録中にお尻を出すことが多いが、ほぼお蔵入りになる[26]下ネタも大好きだが、そのダンディな容姿から女性にも笑って受け入れられる[27]

番組収録では最初は勢いよく喋り倒し、番組進行を脱線させるも、途中で疲れて止めてしまうことがある[5]

評価

各方面から「昭和の無責任男
[28]」「芸能界一いい加減な男[24]」などと称賛されている。なお高田を尊敬しているという長嶋一茂は、「本当にいい加減なわけではない」「遊びとか余裕がある方の適当さがある」と評価している[5]

関根勤は尊敬する人物として、明石家さんまと高田を挙げている。その娘の関根麻里は理想の男性として高田と柳沢慎吾を挙げている。これを聞いた父の関根勤は「子育てに間違いはなかった」とコメントし、自信を見せた[29]

私生活

子供の頃は近所の人たちから
神童と呼ばれていた[30]

高校時代のあだ名は「国領のニワトリ」。友人と朝まで麻雀をやっても、他のみんながぐったりしているのに高田だけ朝になってもうるさかったことから[31]

ダイヤモンド鑑定士の資格を持つ[32]。そのためダイヤモンドなどの宝石の価値、デザイン、原価・販売価格に関して「高田節」を交えつつ話し、バラエティ番組などではその技術力に対し一定の評価を得ることもある。

エピソード

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の
東京大学を目指す受験生達を応援するコーナーでは、2浪の広瀬伸哉の勉強を高田が邪魔するなどイジラレ役としていた。


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