高田文夫
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弟子になってください」と冗談めかした手紙が後日届いたが高田は「自力でなんとかなった」と断っている[16]。2014年に「永六輔、高田文夫。幻の師弟・初のふたり会」を開催している。後に永の孫である永拓実が高田のラジオ番組にゲストに来た際は拓実が「僕を弟子にして下さい!」と直訴するも高田は「友達ならなりましょう」と返した[17]

芸人にならなかった理由として、「売れてなくても芸が下手でも年功序列で『○○兄さん』とヨイショしなければならないことが苦痛に感じるから」と語っている。

東京ボーイズに加わって舞台に立つ場合は「ニュー東京ボーイズ」となる。

たけし・逸見の平成教育委員会』第1期「生徒」として、セミレギュラー出席していた。『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』は1989年4月より放送開始。2024年現在も続くニッポン放送の長寿番組となっている。
ビートたけしとの関係

テレビ番組の構成作家をしていた1975年頃、ポール牧青空球児・好児らの薦めによりビートたけしと対面して意気投合。親密になった[18]。たけしを後押しして番組に起用。たけしのブレーンだった高信太郎から、その座を奪った。

ニッポン放送で『ビートたけしのオールナイトニッポン』の構成作家として参加するが、たけしの喋りに声を出して反応し、たけしが番組を休んだ時には代打パーソナリティとして番組を担当したことがあった。高田が番組を初めて休み、たけし軍団を相手にして放送した回はいつもの調子が出ずにボロボロの放送となり、高田の存在価値が改めて クローズアップされた。1983年、景山民夫と『文夫くんと民夫くん』のパーソナリティを景山民夫と共に務めた。1987年10月、ナイターオフの平日帯 夕方ワイド番組『巨匠・高田文夫のラジオでいこう!』のパーソナリティを務めた。

たけしと担当したフジテレビの深夜番組『北野ファンクラブ』で司会を務めた。その後は1996年4月?1997年9月まで放送された『北野富士』、1997年10月から2002年9月まで放送された『足立区のたけし、世界の北野』に出演。『北野富士』ではたけしと共に司会を務め、『足立区のたけし、世界の北野』ではガダルカナル・タカグレート義太夫たけし軍団と共にレギュラー出演した。
笑芸プロデューサー

1992年、高田が気に入った東京の若手お笑い芸人を集めて「関東高田組」を旗揚げ。高田が司会を務めるテレビ番組『たまにはキンゴロー』にメンバーが出演。各地でライブも実施して人気を博し、ビデオを発売した。 メンバーは春風亭昇太春風亭勢朝桂竹丸、立川ボーイズ(立川志らく立川談春)、浅草キッド松村邦洋相馬ひろみ(現・藤本芝裕)、大川興業大川豊江頭2:50など)、松本明子早坂好恵であった。

ライブ『我らの高田“笑”学校』をプロデュースしている。

2021年6月、一般社団法人漫才協会の外部理事に就任した[19]
音楽

頻度は少ないが作詞やCDプロデュースを手掛けることがある。「ラジオビバリー昼ズ」絡みの企画物(コミックソング)が多く、同番組でプロモーションを行うことが通例となっている。

作詞家デビューは新沼謙治に書いた演歌『おとこ唄ひとり』で作曲した佐瀬寿一(『およげ!たいやきくん』で知られる)とは近年もタッグを組むことが多い。
「バウバウ」

松村邦洋のギャグ「バウバウ」は元来は高田のものまねである。

「バウバウ」の初登場は『第8回 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』での「冷凍室ダジャレ → ものまね合戦」。松村が『北野ファンクラブ』のものまねをした際、十八番のたけしのものまねに続けて、間髪入れずに「バッバッ!(うまいうまい!) 高田文夫です! バッバッ! バアッバッバッ!」と高田が手を叩いて喜ぶ様子を誇張して演じた。高田の笑い声は拍手を伴った派手なもので笑い声の「ブワッハッハ!」が「バァーバッバ」とも聞こえ、たけしを指差しながら「バカなこと言って」という時がもある。更に言葉を発しながら笑うために「バッバッバ」と聞こえ、それにネタっぽい要素を加えて「バウバウ」になった。

シンプルな割に強烈なインパクトが根付き、会場は大ウケしたことで以来、松村の持ちネタとなった。
病気による休養
2006年

上記の通り、2006年4月に新宿末廣亭中席興行(担当:落語芸術協会)で10日間高座に上がったが過労と風邪による体調不良のため、興行直後の4月24日から『ラジオビバリー昼ズ』を休演したが、7月3日から2か月振りに復帰した。
2012年

2012年4月11日の夕方にも体調不良を訴えて緊急入院した[20]。精密検査の結果、心肺機能に疾患があることが判明[21]し、全ての活動を休止して治療に専念することを発表した。

7月10日に病院を退院した、と7月11日放送の『ラジオビバリー昼ズ』で春風亭昇太が発表して、7月13日放送の『大沢悠里のゆうゆうワイド 』に内包している『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」』で高田の退院が話題となった。毒蝮三太夫は大学の先輩、同日のゲストの春風亭一之輔は後輩に当たる。その後は高田から毒蝮や大沢悠里に対して自らの退院について報告するファクシミリが届き、7月16日の放送分で伝えられた。

10月19日の『ラジオビバリー昼ズ』に電話出演して11月に復帰すると告げ、11月5日に7か月振りに復帰。「不整脈から心肺停止に至った」「心臓が4回停止した」「手術で8か所にメスを入れて、心臓ペースメーカーを付けた」「入院後は2週間 意識を喪失した」「70日間 集中治療室にいた」などと語った。入院前はチェーンスモーカーだったが禁煙した。これ以降は体調を考慮して、月曜日と金曜日の放送に出演するようになった。
2020年

2月から3月に掛けて、『ラジオビバリー昼ズ』を2週間休演。3月6日の放送で復帰。入院して、心臓ペースメーカーを取り換えたことを明らかにした。
メディア
著書

ビートたけし&高田ギョロ目文夫のしまいにゃ笑うぞ!(
ビートたけし・高田文夫、スコラ、1983年4月)

高田文夫のコントもかけば恥もかくTVとギャグと人のうわさ話がいっぱい!(日本文芸社、1984年9月 → 文庫化にあたり『だから私は笑わせる』と改題)

民夫くんと文夫くんの オレたち天才!めちゃぶつけ(景山民夫・高田文夫、ニッポン放送出版、1984年10月 → 文庫化にあたり『民夫くんと文夫くん あのころ君はバカだった』に改題。解説は立川談志

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ビートたけしの幸か不幸か オールナイトニッポン&高田文夫(ニッポン放送出版、1987年2月)

ビートたけしの不幸中の幸い オールナイトニッポン&高田文夫(ニッポン放送出版、1987年2月)

あんときゃ笑った(太田出版、1987年7月)

ギャグマン達のブルース(スコラ、1988年2月)

ビートたけしのここに幸あり―カセット版ベスト・オブ・オールナイトニッポン 高田文夫&オールナイトニッポン(扶桑社、1988年3月)

ビートたけしの全面幸福(オールナイトニッポン&高田文夫編、ニッポン放送出版、1988年5月)

立川藤志楼爆笑落語選集(太田出版、1989年3月)

昭和のTVバラエティ(監修:高田文夫、太田出版、1989年12月)

正しい団塊の世代白書(スコラ、1990年5月)

ビートたけしの幸せ丸十年 オールナイトニッポン&高田文夫(ニッポン放送出版、1990年11月)

プロレス激闘ハンドブック 燃える男たちの全記録 完全保存版(監修:高田文夫、ベストセラーズ、1991年12月)

立川藤志楼爆笑落語選集 第2巻(太田出版、1992年5月)

北野ファンクラブ(北野武監修、高田文夫編著、フジテレビ出版、1992年5月)

楽屋の王様 笑って済ます噂噺大事典(高田文夫・高橋春男、講談社、1992年7月)


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