高橋和枝
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その後、教師は高橋の両親を説得、学校長や演劇界にも働きかけるなど奔走し、その結果、高橋は大学側の推薦で劇団前進座に短期間ながら在籍することとなった[11][2]。同年、NHK東京放送劇団を受けたが、この時は、原則としては女性は起用しないことになっていたが、それでも「試験を受けさせてほしい」という高橋などの女性が何人かいたという[13]。「何故放送劇団を受けたか」という質問に対して、背が低いことから皆に「舞台には向かない」と言われたため、と極めて自然に答えたため、原則を変更して、採用するとことになったという[13]

1949年、NHK東京放送劇団養成所の3期生となる[11][注 2]。同年4月に放送されたNHKラジオドラマ『都会の幸福』の少女役で声優としてデビュー[10][注 3]。ラジオ『とんち教室』や『さくらんぼ大将』でも活躍した。

1952年にNHK放送劇団を退職[2]。翌年、ラジオ東京放送劇団の専属となるが[14]1956年にはフリーとなった[2]

所属プロダクションはその後、テアトルプロダクション[15]河の会[16]、NPSテアトル[8][10]に所属した後、再びフリーであった。

1950年代ラジオドラマ生放送時代、テレビ黎明期から声優として活躍。1959年から吹き替えに出演するようになり、TBSで放送したアメリカのコメディー『ザ・ルーシー・ショー』で人気を得る[12]

1963年の『鉄人28号』以降はアニメーションにも出演するようになり、1966年には特撮快獣ブースカ』でブースカの声と主題歌を担当。

1969年12月28日放送回から『サザエさん』で2代目として磯野カツオ役を長期にわたり担当した。
晩年・死後

晩年は、『サザエさん』で共演している加藤みどりの「尊敬する大先輩」として、テレビに出演することもあった。その一方で、1990年以前から骨髄異形成症候群を患い、闘病しながら活動を継続していた。

1998年5月14日、『サザエさん』収録中に容態が急変し、倒れたため、東京都文京区東大附属病院に搬送[5]。後日、体調の悪化から磯野カツオ役の途中降板を余儀なくされた[4]

1999年3月23日午後5時1分、骨髄異形成症候群のため、死去[6]。70歳没。

2010年、第4回声優アワード特別功労賞を受賞。2011年、同アワードで彼女の名前を冠した「高橋和枝賞」が設立され、その年に「声優という職業を各メディアを通じて多く広めた女性声優」に対して贈られることになった[注 4][18]。初の受賞者は田中真弓。2018年には高橋の後任としてカツオ役になった冨永みーなが受賞した[19]
人物・エピソード

声種メゾソプラノ[16]

明るく、元気のある声質を生かしたキャラクターで人気があった[5]

趣味は地唄舞一中節[10]。地唄舞は神崎流の名取で、「神崎紫女」を名乗っていた[20]

夫は歯科医師開業医[5]。息子と娘がいた[5]

小学6年生の時、国語の授業で行われた『リア王』の朗読でコーデリア姫を担当したところ、その声に酔いしれた男子たちから胴上げされたことがある[2]
仕事に対する姿勢

演じる際は、口で表現するもの以外に「何かモヤモヤした人間的魅力」を感じさせねばならないと述べている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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