高橋和枝
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また、視聴者に対しては「良くても悪くても知らん顔では困ります」「アテレコが下手だったら、どんどん言ってほしいですね」と発言していた[21]

自身の役柄について「大抵は美女の中に一人だけいる鬼婆みたいな役のアテレコばかり」と語り、そのような役やドナルド・ダックバッグス・バニーなど「ヘンテコなもの」を持ち役にしていた[21]

仕事については高いプロ意識と技術を持っており、フグ田サザエ役として長年共演していた加藤みどりは、『サザエさん』放送開始初期の収録で自身がアドリブを入れても高橋はそれを受けつつも台詞を一言一句影響されず、完璧にこなすという高い技術を目にしたという[22]
ザ・ルーシー・ショー

海外ドラマ『ザ・ルーシー・ショー』では、主人公のルーシー・カーマイケル(演:ルシル・ボール)の吹き替えを担当した。

本作のオーディションを受けた際、高橋は「初めてフィルムを見た時から彼女の気持ちが手に取るようにわかった」といい、「のっちゃって、終わってもその興奮が冷めませんでした」と語っている。その後は夜も寝られず夢にまで見るほどやりたく、またスポンサー側がルーシーを有名な女優に吹き替えてもらおうとしている話を聞いていたため、演じることが決まった際はとてもうれしかったという[21]

高橋はルーシーについて、性格的に似ており動然とよく合ったと発言している[21]。一方で、ルーシーのバイタリティーについていくのは大変だったため「途中へばっちゃいけないと睡眠を充分とったり、ビフテキなんか食べたりして、何とか力をつけよう」と工夫していたという[21]
磯野カツオ

『サザエさん』では、1969年12月28日放送回から2か月半で自主降板した大山のぶ代に代わり、磯野カツオ役を担当。自身の病気によって降板するまで29年5か月務め続けた。2代目ではあるが、登板時期が2か月半と早いこと、在任期間が長く、多くの人々に知られたことから、「初代カツオ=高橋和枝」と思われるほどの代表作となり、高橋自身も「カツオと共に生きて、一心同体」と語るなど、強い愛着を持っていた[23]

『サザエさん』を制作するエイケンでは、数年前に同社で制作した『鉄人28号』で金田正太郎役を務めた縁から高橋がカツオ役の第一候補であったものの、アフレコ業務を担当し、直接のキャスティング作業を行っていたグロービジョンによって大山が起用されることとなった。しかし、起用時点で妊娠が判明していた大山は色々悩む中で演じていたほか、周囲からも安産のため、降板を薦められる状況だったことから、1969年10月5日の開始から2か月半後の12月21日放送回をもって自主降板。改めて高橋が起用されることとなった[24]

カツオを演じるにあたっては、夫が歯医者であることもあり、歯の健康には気を遣っていたといい「歯がガタガタになってスース―と空気が漏れるカツオではイメージがメチャクチャになってしまいますからね」と語っていた[25]

フネ役の麻生美代子とは年齢では3歳しか違わず(麻生の方が3歳年上)、麻生を姉のように慕っていたという[要出典]。

高橋のもとには、子どものファンから「カツオ君の声をやってください」という電話がよくかかってきたといい、高橋もこれに応じ、サービスでカツオの声を披露していたという[25]

1998年5月14日、『サザエさん』収録中に容態急変のために倒れ、東大附属病院に緊急搬送される[4][5]。このため、その日伊佐坂ウキエ役で収録に参加していた冨永みーなが急遽代役として磯野カツオ役を演じていた。磯野カツオの声が高橋と声質の異なる富永に何の前触れもなく変わったことに視聴者から問い合わせが殺到したが、その後高橋の容態が知らされると励ましや回復、その後の番組復帰を願う声や手紙が沢山寄せられた。中にはサッカー日本代表の中田英寿や元F1レーサーの中野信治からの手紙もあり[4]、高橋は病床で「私の宝物」と言って喜んでいた[12]

当初、冨永の起用は高橋が復帰するまでの一時的な処置のつもりであり[26]、フジテレビも視聴者の問い合わせに「高橋さんが治ればまた戻ります」と応えるようにしていたが[23]、病状は重く、復帰の願いもむなしく、29年5か月務めた2代目・磯野カツオ役を降板することになり、冨永はそのまま3代目・磯野カツオ役として正式に演じることになった[4]。なお、高橋は病床で冨永が後任となることに対し、「みーなちゃんならいい」と答えていたという[26]

骨髄異形成症候群の闘病がはじまってからは、入院先の病院からタクシーを飛ばして収録スタジオに駆けつけていた[23]。また、『サザエさん』放送30周年のパーティーでは車椅子で登場したが、壇上では普段と変わらぬ元気な磯野カツオの声を披露し、拍手喝さいを受けたという[5][23]

その後、1999年3月23日に死去[5][6]。亡くなる直前の3月20日古稀を迎えたばかりだった。高橋の見舞いに行った初代・磯野波平役の永井一郎と2代目・花沢花子役の山本圭子によると、危篤状態の時に周囲が「高橋さん」と呼びかけても反応しなかったが、「カツオ」または「磯野くん」と呼ぶと、小さく「はーい」と返事をしたというエピソードがある[4][5]


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