高橋和枝
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血液型AB型[7][8]
職業声優女優
配偶者あり[5]
公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重145 cm / 42 kg

声優活動
活動期間1949年[10] - 1998年
ジャンルアニメ吹き替え
デビュー作少女(『都会の幸福』)[10]
女優活動
ジャンルテレビドラマ舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

高橋 和枝(たかはし かずえ、1929年昭和4年〉3月20日[2][11] - 1999年平成11年〉3月23日[5][6][11][12])は、日本声優女優
生涯
生い立ち1952年

栃木県那須郡大田原町(現:栃木県大田原市)出身[2][3]。父が家業に失敗したこともあり、幼少期に東京府東京市中野区(現:東京都中野区)[注 1]に移住[2]中野区立桃園小学校(現:中野区立中野第一小学校)へ入学後、4年生の時に劇団東童の『青い鳥』を見て演劇のとりこになった[2]

都立井草高等女学校(現:東京都立井草高等学校)に進学。後に第二次世界大戦の影響で郷里に戻り、栃木県大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校[3]に転校した[2]。終戦を迎え高校を卒業した後は、再び上京し東京家政学院(現・東京家政学院大学)本科[11]に進学した[2]
キャリア

高校、大学時代は演劇部に所属[2]。大学卒業間近である1948年のある日、高橋の才能を目に留めていた演劇部の教師は演劇界へ進出するよう高橋に勧め、高橋もその道へ進むことを決心する[2]。その後、教師は高橋の両親を説得、学校長や演劇界にも働きかけるなど奔走し、その結果、高橋は大学側の推薦で劇団前進座に短期間ながら在籍することとなった[11][2]。同年、NHK東京放送劇団を受けたが、この時は、原則としては女性は起用しないことになっていたが、それでも「試験を受けさせてほしい」という高橋などの女性が何人かいたという[13]。「何故放送劇団を受けたか」という質問に対して、背が低いことから皆に「舞台には向かない」と言われたため、と極めて自然に答えたため、原則を変更して、採用するとことになったという[13]

1949年、NHK東京放送劇団養成所の3期生となる[11][注 2]。同年4月に放送されたNHKラジオドラマ『都会の幸福』の少女役で声優としてデビュー[10][注 3]。ラジオ『とんち教室』や『さくらんぼ大将』でも活躍した。

1952年にNHK放送劇団を退職[2]。翌年、ラジオ東京放送劇団の専属となるが[14]1956年にはフリーとなった[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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