高橋和枝
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所属プロダクションはその後、テアトルプロダクション[15]河の会[16]、NPSテアトル[8][10]に所属した後、再びフリーであった。

1950年代ラジオドラマ生放送時代、テレビ黎明期から声優として活躍。1959年から吹き替えに出演するようになり、TBSで放送したアメリカのコメディー『ザ・ルーシー・ショー』で人気を得る[12]

1963年の『鉄人28号』以降はアニメーションにも出演するようになり、1966年には特撮快獣ブースカ』でブースカの声と主題歌を担当。

1969年12月28日放送回から『サザエさん』で2代目として磯野カツオ役を長期にわたり担当した。
晩年・死後

晩年は、『サザエさん』で共演している加藤みどりの「尊敬する大先輩」として、テレビに出演することもあった。その一方で、1990年以前から骨髄異形成症候群を患い、闘病しながら活動を継続していた。

1998年5月14日、『サザエさん』収録中に容態が急変し、倒れたため、東京都文京区東大附属病院に搬送[5]。後日、体調の悪化から磯野カツオ役の途中降板を余儀なくされた[4]

1999年3月23日午後5時1分、骨髄異形成症候群のため、死去[6]。70歳没。

2010年、第4回声優アワード特別功労賞を受賞。2011年、同アワードで彼女の名前を冠した「高橋和枝賞」が設立され、その年に「声優という職業を各メディアを通じて多く広めた女性声優」に対して贈られることになった[注 4][18]。初の受賞者は田中真弓。2018年には高橋の後任としてカツオ役になった冨永みーなが受賞した[19]
人物・エピソード

声種メゾソプラノ[16]

明るく、元気のある声質を生かしたキャラクターで人気があった[5]

趣味は地唄舞一中節[10]。地唄舞は神崎流の名取で、「神崎紫女」を名乗っていた[20]

夫は歯科医師開業医[5]。息子と娘がいた[5]

小学6年生の時、国語の授業で行われた『リア王』の朗読でコーデリア姫を担当したところ、その声に酔いしれた男子たちから胴上げされたことがある[2]
仕事に対する姿勢

演じる際は、口で表現するもの以外に「何かモヤモヤした人間的魅力」を感じさせねばならないと述べている。また、視聴者に対しては「良くても悪くても知らん顔では困ります」「アテレコが下手だったら、どんどん言ってほしいですね」と発言していた[21]

自身の役柄について「大抵は美女の中に一人だけいる鬼婆みたいな役のアテレコばかり」と語り、そのような役やドナルド・ダックバッグス・バニーなど「ヘンテコなもの」を持ち役にしていた[21]

仕事については高いプロ意識と技術を持っており、フグ田サザエ役として長年共演していた加藤みどりは、『サザエさん』放送開始初期の収録で自身がアドリブを入れても高橋はそれを受けつつも台詞を一言一句影響されず、完璧にこなすという高い技術を目にしたという[22]
ザ・ルーシー・ショー

海外ドラマ『ザ・ルーシー・ショー』では、主人公のルーシー・カーマイケル(演:ルシル・ボール)の吹き替えを担当した。

本作のオーディションを受けた際、高橋は「初めてフィルムを見た時から彼女の気持ちが手に取るようにわかった」といい、「のっちゃって、終わってもその興奮が冷めませんでした」と語っている。その後は夜も寝られず夢にまで見るほどやりたく、またスポンサー側がルーシーを有名な女優に吹き替えてもらおうとしている話を聞いていたため、演じることが決まった際はとてもうれしかったという[21]

高橋はルーシーについて、性格的に似ており動然とよく合ったと発言している[21]。一方で、ルーシーのバイタリティーについていくのは大変だったため「途中へばっちゃいけないと睡眠を充分とったり、ビフテキなんか食べたりして、何とか力をつけよう」と工夫していたという[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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