高槻市
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大阪から21.2km、京都から21.6km[注釈 3]と、京都大阪間のほぼ中央に位置する。市域面積は105.31km2、広さは府内第4位[注釈 4]で、大阪府の5.6%を占める。市域の33.29km2 (31.6%) が市街化区域となり、残りの72.02km2 (68.4%) が市街化調整区域として開発が制限されている。市街化率は北摂7市の中で最も低く[注釈 5]、山林や農地が多く残されている。主な市街化調整区域は、保安林や近郊緑地保全区域に指定され、市域の48%を占める北部の山林[注釈 6]、南部の三箇牧地域、東部の五領地域、郡家や土室などがあり、三箇牧地区、五領地区、樫田地区は農用地区域としても農地が保全されている[注釈 7]

山裾には大小500基以上の古墳を有する三島古墳群が拡がり、古代・山陽道西国街道)が市内中央部を東西に通り、交通の要所として街道沿いに発展し、郡衙宿場などが作られた。古代・河内湾により高槻付近まで海が迫っていたことから、津之江の地名が残り、筑紫津が作られ、九州へ出発する港が整備されていた。淀川では、淀川三十石舟など水運の要所にもなり、前島浜・唐崎浜・三島江浜などの河港が整備され、柱本でくらわんか舟が誕生した。鵜殿は奈良時代には都の牧場として使われており、鵜殿や大塚には対岸の枚方市との渡し場があった。六玉川のひとつ三島の玉川や三島江、芥川などは歌枕として有名。

北部森林地帯
原で撮影

北部山麓の農業地帯
原で撮影

北部丘陵の邸宅街
南平台5丁目で撮影

高槻駅北側の再開発地区
古曽部町で撮影

広袤(こうぼう)

東西10.4km・南北22.7km。市域面積は105.31km2。市内最高標高はポンポン山の678.7m、最低標高は柱本の淀川河川敷で3.3m。
極地

東端 淀の原町地先の淀川 北緯34度52分、東経135度40分


西端 大字二科小字院ノ馬場12番地の1 北緯34度56分、東経135度33分


北端 大字杉生小字西谷17番地 北緯34度58分、東経135度35分


南端 柱本町地先の淀川 北緯34度47分、東経135度36分


市役所 桃園町2?1番地 北緯34度51分、東経135度37分

地勢

北部は北摂山系になり、主な山には、ポンポン山、三好山(みよしやま)、黒柄岳(くろがらだけ)、明神ヶ岳(みょうじんがだけ)、高ヶ尾山(たかおさん)、阿武山(あぶやま)がある。主な川には、南東から市の南端に沿って流れる淀川をはじめ、北から南へ市内中央部を流れる芥川や、女瀬川(にょぜがわ)、桧尾川など12の一級河川があり、新川など5つの準用河川がある。

JR京都線阪急京都本線を中心に市内中央部から周辺部へと市街地が拡がっている。北部は大半が山間地で、南部は大阪平野北部を形成する三島平野の低地が広がる。北から、700m以下の山間部、山地に囲まれた田能盆地や原盆地、服部谷、成合谷などの農村部、高槻丘陵や奈佐原丘陵といった丘陵地に広がる日吉台、安岡寺、南平台、奈佐原などの住宅地、歴史的な街なみが残る標高10 - 30m程の富田台地と続き、大阪平野を形成する標高10m以下の沖積低地が広がる。市内には国道170号線と国道171号線が走り、丘陵部を東西に名神高速道路が貫通している。市北部には新名神高速道路高槻インターチェンジがある。
地形

高槻市の地形的特色としては、山地谷底平野丘陵地台地沖積低地の5つに区分される[3]

高槻市を上から見ると、北半分は丹波高地に連なる北摂山地へ楔形に食い込んだ形をしており、市北部の北摂山地は、堅く固結した古生代の堆積物である丹波層群でできている。山地は標高700m以下の低山性山地で、大阪平野に面する斜面は急だが、山頂部は定高性[注釈 8]が強く、高原状の地形を形成している。

北摂山地の川や谷に沿って形成されている谷底平野は、小低地で、芥川の源流部にある田能盆地、中流の原盆地や服部谷、桧尾川中流の成合谷などがあたる。田能盆地は樫田地区を中心とする地域で、標高は330 - 360m、周りをさらに150mほど高い山地に囲まれている。原盆地・成合谷は、ポンポン山の山裾と高槻丘陵との間に挟まれた谷底平野で、標高は、原盆地で100 - 130m、成合谷で20 - 50m、河川に沿って南北に長い平面型となっている。服部谷は、摂津峡の南端から南南東に伸びる谷で、谷の両側を丘陵地に挟まれ、面積のほとんどが扇状地となっている。

北摂山地と淀川低地とが接する市中央部には、鮮新世末期 - 更新世前期の堆積物である大阪層群で構成される丘陵部があり、日吉台、安岡寺、南平台、奈佐原といった住宅地が形成されている。高槻丘陵は、ポンポン山の山裾から南側に広がる丘陵地で、北部の標高は100m以上で自然が残され、南部は50 - 110m、比較的起伏が小さく住宅街が広がる。高槻丘陵の西には、標高50 - 100m奈佐原丘陵があり、さらに奈佐原と南平台に分けることができる。

更新世後期の富田礫層に覆われた富田台地が、丘陵部から南方へ突き出た形に伸びている。富田台地は、標高10 - 30mの舌状台地で、北西端が継体天皇陵、南西端に総持寺、南東部に富田寺内町といったものを有する。

市域の南半分が、大阪平野の北部を形成する淀川低地にあたり、その全域が沖積層である。大部分が標高10m以下の低湿地で占められ、排水が悪い低湿な後背湿地氾濫平野が広がり、小規模な島状の高台が散在している。

市内北部を有馬-高槻断層帯が東西方向に通過し、山地部にも「大沢」や「萩谷」などの推定活断層が通る。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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