高松藩
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高松藩の庇護を受けていた京都の興正寺は高松に使者を派遣し、責任者の処罰を行って新政府に謝罪することを勧めた。そこで、家老2名を切腹させて恭順の姿勢を示すことになり、藩主・頼聰も浄願寺にて謹慎、前藩主松平頼胤も江戸にて謹慎した。一方、土佐藩を中心とする討伐軍は丸亀藩・多度津藩を従えて高松に向かっていたが、高松藩と縁戚である徳島藩が討伐に消極的で、松山藩討伐にも兵力を割く必要があった土佐藩や整備されていない丸亀・多度津両藩では攻略困難と見込まれていた。そこに高松藩が恭順の見通しであることが判明し、1月20日に高松城は無血開城されると、ただちに同城に入って接収を完了させた。興正寺などの取り成しによって2月には藩主・頼聰に上京・謝罪が命じられ、土佐藩も高松城を返還して撤退した。その結果、4月15日に新政府への軍資金12万両の献上と引換に宥免された。

ところが、この一連の動きに対する藩内の不満が高まり、明治2年(1869年)9月に尊王派の松崎渋右衛門が暗殺され、頼聰以下の藩首脳はこの事件を、松崎が新政府への反逆の企てが発覚したことによる自殺として届け出た。だが、松崎と知己である木戸孝允らはこれを疑い、弾正台に再調査を命じる。その結果、藩内保守派による殺害と判明し、頼聰は明治4年(1871年)7月に閉門処分を命じられるなど、多くの藩士が処分された[8]

同年に廃藩置県により高松藩は高松県となる。幕末から明治初期の政府からの高松に対しての心象からか徳島や愛媛に統合され、独立した県とされることなく、結果として全国で最後に香川県として認められたのが1888年12月3日である。
歴代藩主
生駒家

外様 17万3千石 (1587年 - 1640年)
親正

一正

正俊

高俊

高松松平家

親藩御連枝 12万石 (1642年 - 1871年)
頼重

頼常

頼豊

頼桓

頼恭

頼真

頼起

頼儀

頼恕

頼胤

頼聰

松平家時代の家臣

松平大膳家 - 御厄介(一門)。頼重の七男頼芳が初代。頼芳の孫のうち頼桓は4代藩主となり、頼桓の弟2人が大膳家当主から徳島藩蜂須賀家の養子に転出している。

大久保主計家 - 藩主頼重の実弟ともされる大久保公忠が初代。大老職を世襲。3000石。

平賀源内 - 本草学者、発明家やコピーライター、シナリオ脚本家としての一面も持つ。

久米通賢 - 塩田開発や地図作成などから新型銃の発明まで行ったとされる。

藤沢南岳 - 幕末から明治に活躍した儒学者。

柴野栗山 - 寛政の三博士のひとり。

向山周慶 - 和三盆糖の製造に成功した人物。

松平左近 - 御厄介(一門)。水戸藩の徳川斉昭に傾倒した尊王家で,桂小五郎(木戸孝允)ら勤王派の藩士、志士を積極的に庇護した。また明治元年(1868年)の鳥羽・伏見の戦ののち、弟の高松藩主松平頼胤が一貫して佐幕的な姿勢をとり続け政府軍の来攻にあうと、藩論を恭順に導いて高松が兵禍を被るのを防いだ。

後藤芝山 - 藩校講道館の総裁に任ぜられる。四書五経に後藤点として知られる訓点を付加。有職故実に詳しく、詩文、書にもすぐれた。門人に柴野栗山がいる。著に「元明史略」「王経標註」「芝山先生遺稿」など。

木村黙老(1774年 - 1857年 あるいは 1856年)[9] - 高松藩家老として坂出塩田を開くなど経済政策に実績をあげた。『南総里見八犬伝』・『椿説弓張月』などの長編小説で人気を集めた曲亭(滝沢)馬琴の「三親友」の一人として知られ、二人の交流は近世文学史に名を刻んでいる[10]

中山城山 - 儒学者。全讃史筆者 全国に500人の弟子があったとされる。

増田雅宅(休意)(1678年 - 1768年)[11] - 歴史家[11]。「讃岐三代物語」をまとめた[11]菊池寛の先祖とされる。

長町竹石 - 山水画の絵師として江戸で有名となった。

矢延平六(1610年 - 1685年)[12] - 初代・頼重に仕えた[12]灌漑工事や溜め池改修など讃岐平野の開発を行った[12]。平六を祭った新池神社の祭礼・ひょうげ祭りが知られる[12]

牛窪求馬 - 明治期、四国で初めての電灯会社(現在の四国電力)を設立する。

松崎渋右衛門 - 勤皇家。桂小五郎らと親交が深かったが明治になって謀殺される。

長谷川宗右衛門(1804年 - 1870年)[13] - 水戸藩の徳川斉昭に触発されて勤皇家として活動。安政の大獄で幕府に捕らえられた。獄中で吉田松陰が影響を受けたと言われている。

幕末の領地

讃岐国 

香川郡-48村

大内郡 - 34村

寒川郡 - 27村

山田郡 - 33村

三木郡 - 20村

阿野郡 - 36村

那珂郡のうち - 18村

鵜足郡のうち - 29村


脚注^ 郡部12万3千石および島嶼部3千2百石(「生駒親正・一正宛豊臣秀吉朱印状」より)
^ 深井雅海『江戸城-本丸御殿と江戸幕府』(中公新書、2008年) P24
^ “大名家の秘密―秘史『盛衰記』を読む”. 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア. 2022年3月26日閲覧。
^ 溥幸, 1939-, 木原 (2009). 近世讃岐の藩財政と国産統制. 広島: 溪水社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010059902-00 
^ “【香川】ミシュラン最高評価!世界が認めた庭園「栗林公園」を散策しよう!”. トリップノート. 2022年3月26日閲覧。
^ a b c 木原溥幸 (2008-10-15). 讃岐・江戸時代の町、村、島. 文芸社. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-286-05286-1. https://books.google.co.jp/books/about/%E8%AE%83%E5%B2%90_%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%94%BA_%E6%9D%91_%E5%B3%B6.html?id=JFN6PgAACAAJ&redir_esc=y 
^ “都市交流 。水戸市ホームページ”. www.city.mito.lg.jp. 2022年3月26日閲覧。


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