近年では他の地方都市と同様に、郊外の大型ショッピングセンターやロードサイド店舗に消費者が流れ、有力テナントが撤退するなど、状況は劣勢になって来ている。このため、現在は丸亀町、高松三越周辺では大規模な再開発事業が始まっている。
近年、高松市内を中心に新規出店の店舗が開店し始め、商店街も空き店舗等に若者向けの服や雑貨、美容院などができ始め、若者向けの店舗も増えてきている。なお、1990年代までは約90%程度の店鋪が月曜定休(三越に合わせていた)で、現在も月曜定休の店鋪は半数ほどに上る。一方で近年、ハッピーマンデー制度による月曜祝日が増加したこともあり、定休が常時火曜に変更する店も増えてきた。
なお、2007年のクリスマスシーズンには商店街でキャンドルイベントが行われた(右上写真参照)。
他都市のアーケード街と異なり、一部の例外を除いて自転車の通行を禁止していないのも特徴である。
兵庫町商店街(ひょうごまち)中央通りを横切る地点
路線名:高松市道兵庫町西通町線、高松市道片原町沖松島線の各一部(Google マップ青い点で示すルート)
東西に伸びる通り。江戸時代に高松藩の武器庫があったことからこの名がついた。現在は中央通りを横切り、周りにビジネス街や官庁街にあることから平日はビジネスマンが多く、それ向けの飲食店や衣料品店などがあるが西側では空き店舗も目立つ。南新町と同様に幅は広めである。中央通り沿いの西側には両サイドに高松東急インと東横インが並んでいる。また、中央通り以西は旧丸亀街道の一部でもある。中央通りをまたぐ横断歩道の中央分離帯部分には高松市道路元標がある。2010年、兵庫町独自のマスコットとして「ひょこたん」が誕生し「ひょこタウン」の別称が用意された。
片原町商店街
路線名:高松市道片原町沖松島線の一部(Google マップ青い点で示すルート)
東西に伸びる通り。江戸時代に成立した町であるが、高松城の堀を埋めた時に町の片方が原っぱとなったためこの名がついた。かつては讃岐五街道でもある志度街道および長尾街道の一部でもあった。商店街の中には菅原道真を祀り、地元の人々に「古天神さん」と呼ばれる華下天満宮がある。現在、ことでんの線路をはさんで西は繁華街、東は庶民的な食料品店などが多い。高松三越に隣接していることからデパート客も多い。東側は、再開発事業の一環で、マンションと、低層階には、高松市生涯学習センター(愛称:まなびCAN)などの施設が入居する再開発ビル(むうぶ片原町)がある。商店街を管理運営する振興組合はフェリー通りを境に東部と西部で分かれている。ことでん琴平線および長尾線の片原町駅が隣接しており最寄り駅である。
高松丸亀町商店街丸亀町商店街丸亀町壱番街前ドーム広場(商店街のシンボル的存在)丸亀町商店街。再開発前
路線名:高松市道丸亀町栗林線の一部(Google マップ青い点で示すルート)
高松中央商店街において中心的な商店街。南北に伸び、この商店街を境に以西がビジネス街、以東が繁華街や歓楽街である。最も歴史が古く、高松を開拓した生駒親正により高松城築城と同時に造られた通りである。生駒親正は那珂郡丸龜(現在の丸亀市)の丸亀城に居住したが、徳川幕府からの「一国一城」の命に従い、高松玉藻城に移り丸亀から町人を連れて来て商売をさせたのが名前の由来。当時から現在に至るまで最も人通りが多く、また賑わいがある。幅員は狭いが、再開発後のビルを後退させて建築することにより事実上の拡幅を推進している。
現在は衣料品店が多く、書店などもあるため、老若男女を問わず幅広い年齢層の人通りがある。高度経済成長の最盛期に比べ人通りは減り、空き店舗も増えたため、現在北から順に再開発計画が進行中である。北端近くの百十四銀行高松支店(右写真の左側の灰色の建物)は現本店が完成した1966年まで本店だった店舗で、1945年7月4日の高松空襲から被害を免れた数少ない建物である。空襲で火災になりかけたが、行員が必死の消火活動を行い店を守ったとの銀行側公式記録がある。
2006年10月には無印良品[4]、2007年10月にはマツモトキヨシが出店している。また、100円ショップの草分けである大創産業(ザ・ダイソー)の1号店も丸亀町商店街にあった。1号店は現存しないが、その流れを汲む移転拡張後の店舗がB街区(エイコー跡)で営業を続けている。
2006年5月に「がんばる商店街77選」に選ばれた。
丸亀町壱番街駐車場・丸亀町町営北駐車場・丸い亀さん駐車場と、3箇所の駐車場を運営している。かつてはゴンドラ式タワーパーキングの、町営第3駐車場・町営南駐車場も存在したが、いずれも再開発のため営業を終了している。町営南駐車場は丸亀町グリーン西館の一部に、町営第3駐車場は2020年7月から取り壊しが始まり、大工町・磨屋町市街地再開発事業による再開発ビルの一部になる予定である。 丸亀町では、北からA街区-G街区と、7地区に分けて再開発が計画されている。2006年12月、北の端にA街区再開発ビル「高松丸亀町壱番街」が完成した。高さ日本一のアーケードはここにある。前述の百十四銀行の建物は現状のまま残されて営業中だったが、2012年から2013年にかけて耐震補強工事が行われた。躯体自体の建て替え工事ではなく外観等は保持され、かつ内部は旧本店時代の雰囲気をできるだけ復元し、引き続いて営業に供されている。 定期借地権制度を活用した地権者全員同意による民間主導の再開発(A?C街区)が全国的に注目を集め、完成後行政関係を中心に多数の視察者が訪問するようになり、その数は年間13000人を超える。 2008年1月にB街区・C街区が同時着工、当初は2008年度中に完成予定だったがずれこみ、2009年10月に本体工事は完成。2010年1月にはB街区(東側に8階建て[註 3] の1号館と西側2ヶ所に各4階建て[註 4] の2・3号館)が「高松丸亀町弐番街
再開発
この他、高松市の ⇒中心市街地活性化 によると、D地区は店舗・小規模オフィス・住宅20戸・駐車場20台、G地区(旧富士銀行高松支店・ヤマハミュージック瀬戸内高松店など)は店舗・アミューズメント・ホテル・住宅200戸・駐車場450台が計画された。しかし、2008年にマンション建設を請け負う予定だったディベロッパーが倒産し、その後大和ハウス工業が引き受けることで決着。折しの経済情勢もありマンション部分については計画を縮小(地上29階建てから13階建てに変更)。着工も2010年度内に、完成も2011年度中を目指していた[5]。同年度中の完成はならなかったが、2012年4月19日に「丸亀町グリーン」として開業。
再開発中の地域活性化を図る取り組みとして、G地区の工事用仮囲いパネルには、地元のプロバスケットボールチーム・高松ファイブアローズと提携し、同チームのアートワークが描かれたものを置いていた[6]。
D・E・F街区については2015年3月現在、再開発事業化の目途が立っていない。
また、丸亀町ではないが、兵庫町の東端(片原町、兵庫町、丸亀町の交差する部分)は店舗・住宅12戸・駐車場10台が計画されていたが、大規模事業等見直し対象に指定されたため事実上白紙撤回となった。
前述の通り、土休日の日中以外は自転車の乗り入れが禁止されていなかったが、自転車が危なくて歩けないといった苦情が振興組合に多く寄せられており、また丸亀町グリーンの開業でさらなる混雑が予想されるため、2012年4月16日から2ヶ月間、終日自転車乗り入れ禁止の臨時規制による社会実験を行うこととなった(押し歩きは可能)[7]。