高村正彦
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法相就任時の記者会見で「命令書にはんこを押しますか」と聞かれた際、高村は「日本は法治国家です。裁判所が決めたことを精査し、間違いがなければ判を押すのは当然でしょう。特別の信念があって押したくない人がいてもよいが、そういう人は法相を受けるべきではない」と明言したが、在任中一度も死刑事案は上がってこなかった[3]

2000年7月、番町政策研究所(旧河本派)の会長に就任。河本敏夫の死去した2001年以降、旧河本派は、高村派と称されるようになる。

山崎拓加藤紘一小泉純一郎の「YKK」に森喜朗を加えた「MYKK」に高村を加えて、「MY3K」と称されることもあった。この頃、小泉の後継を窺い、麻生太郎古賀誠平沼赳夫らと共に士志の会を結成した。

2003年自由民主党総裁選挙に出馬。高村派所属議員の他、宏池会堀内派林義郎やその長男・林芳正大勇会鈴木恒夫森英介[4]平沢勝栄らが高村の推薦人に名を連ね、保守党党首から自民党に復党した野田毅も高村を支援した。結果は最下位(54票)に終わったものの、議員票では高村派議員数の16人を大きく上回る47票を獲得。一定の存在感を示した。
郵政民営化反対

総務会郵政民営化法案の提出に反対した[5][6]衆議院本会議の採決では棄権した。後に参議院の審議で付帯決議付きの法案が可決され、過疎地の郵便局も存続の見通しが立ったため、衆議院の解散後に賛成の立場を明らかにし、自民党の公認を受けた。

2006年自由民主党総裁選挙では、同じ山口県選出の安倍晋三を高村派を挙げて支持し、安倍内閣では内閣府特命担当大臣(金融担当)山本有二、在職中に死去した農林水産大臣松岡利勝の後任に赤城徳彦を送り込んだ(赤城は事務所費問題が発覚し短期間で更迭)。2007年第1次安倍改造内閣では防衛大臣に任命される。

安倍の後継総裁を選出する2007年自由民主党総裁選挙では、福田康夫を支持[7]
福田内閣2007年9月26日福田康夫内閣発足時の外務大臣就任会見にて

福田康夫内閣では外務大臣に任じられる。福田康夫改造内閣でも再任された。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、全国的に自民党への猛烈な逆風が吹き荒れる中、保守王国・山口県で圧倒的な強さを見せ、山口1区で民主党新人の高邑勉を破り、10選(派閥領袖で小選挙区で当選したのは高村、麻生太郎二階俊博古賀誠の4人)。高邑には5万票弱の大差をつけたが、比例復活を許した。山口1区で次点以下の候補が比例復活は初。
第二次安倍内閣

2012年自由民主党総裁選挙では、再び安倍晋三への支持を表明。総裁に当選した安倍の下、自民党副総裁に起用された。番町政策研究所の会長職は、副総裁を退任した大島理森が継いだ。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、山口1区で11選。

2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、山口1区で12選[8]

2017年1月30日、自由民主党副総裁の連続在任日数が1586日となり、歴代最長となる[9]。9月、第48回衆議院議員総選挙には出馬せず引退、長男の高村正大が山口1区から後継として出馬し当選した。

安倍は、党内の改憲論議で中心的役割を担わせるため副総裁として続投させる考えを示し、引退後も再任された[10]

2018年春の叙勲で旭日大綬章を受章。

2018年10月2日、自民党副総裁を退任[11]。党憲法改正推進本部の最高顧問に就任[12]
政策・主張
北朝鮮に対する姿勢

毎日新聞』による小渕内閣の外相時代の評価は高く、北朝鮮問題でも「拉致問題解決なくしてコメ支援なし」の原則を公言していた。当時は北朝鮮に宥和的な政治家が対朝外交の主導権を握っていて、積極的な議員外交が繰り広げられていた[13]
中国に対する姿勢

2007年11月2日の衆議院外交委員会で、化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約に関して、民主党松原仁は「昭和20年の敗戦後に中国側へ兵器を引き渡した際の引継書には化学兵器も含まれていた」と指摘したが、高村は「どっちに立証責任があるかといえば、それは条約上の建前からいって、日本側にあるんだろうと思います。これについては引き渡したものですよ、これについては日本側に責任はありませんよと。それは非常に困難なのではないかな、こういうふうな感じを、今御質問を聞きながら思いました」と述べた[14]

2008年3月17日に参院予算委員会で、中国・南京などにある抗日記念館の展示内容について、「事実関係に疑義のある展示や青少年の教育上、過度に残虐な表現がある展示がみられることは残念だ」と述べた。南京盧溝橋の抗日記念館には、日本軍兵士による「百人斬り」の記事や写真などが掲示されており、高村は「指摘すべきは指摘し、中国側の適切な対処を求めていく」と語った[15]
統一教会との関係

弁護士時代に世界基督教統一神霊協会(2015年より「世界平和統一家庭連合」)の訴訟代理人を務めており、1980年には統一教会の女性信者が強制改宗させられているとして、裁判所に人身保護請求を行ってその信者を解放させたことがある[16]。また1989年政治資金収支報告書によれば、統一教会の霊感商法の元締め的会社であるとされる「ハッピーワールド」から時価380万円の高級車(日産・セドリック)の提供を受けていた[17]

いわゆる勝共推進議員であったが、外務大臣に就任した年の『週刊ポスト』(1998年12月4日号)誌上では統一教会との関係について、冷戦構造下において共産主義反対というところで一致していただけで統一教会の弁護士をやめる際に今後は一切、相談は受けないことを申し入れたこと、統一教会の教祖文鮮明に対してビザ発給などで便宜を図ったことはないこと、1999年の入国に協力するつもりはないことなどを語っている。また週刊現代(1999年2月27日剛)の取材には「今は何の関係もない」としている[18]

しかし2015年、家庭連合が所有する放送局「PeaceTV」の番組内で、同年5月に同会の金起勲(キムギフン)北米大陸会長らが来日した際、自民党本部で高村副総裁らに歓迎を受けたと放送されたことが、『週刊朝日』(2017年7月21日号)によって報じられた[19]


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