高木 均(たかぎ ひとし、1925年〈大正14年〉2月26日[8][9] - 2004年〈平成16年〉2月11日[6])は、日本の俳優、声優。東京府東京市(現:東京都)出身[3]。 旧制巣鴨高等商業学校(後の巣鴨商業高等学校、現:巣鴨高等学校)卒業後、朝鮮銀行に勤務、1944年暮に横須賀市の海軍工廠で鋳物工、1945年3月、徴兵で二等兵、闇屋をしたり、船会社を設立したりと様々な職業を経たのち、文化学院在学中に文学座を受験し、1949年に文学座に一期生として入団[3][9]。翌1950年に『キティ颱風』で初舞台を踏み、以降は文学座の中堅俳優として活動[10]。 1963年、文学座の分裂騒動を機に退団し、劇団仲間を経て1967年に劇団雲に入団する[4][10][9]。1975年に劇団雲が分裂してからは、演劇集団 円の創立に参加し所属する[4][10]。舞台に立つかたわら、映画やテレビドラマにも出演した。 声優としては、1969年のアニメ『ムーミン』のムーミンパパ役で本格的にデビュー[11]。同人舎プロダクション[12]、新企画[13]を経て、81プロデュースに所属した[6]。 1998年に心臓病で倒れるが一命をとりとめ[2]、同年に自身が主演の舞台『パウル氏』で復帰する[14]。 2004年2月11日午前1時7分頃、虚血性心不全のため都内の自宅で死去。78歳没[4][15]。 主に舞台俳優として活躍。身長171cm、体重80kgの巨体とコミカルな芸風を生かしてテレビや映画にも出演し[10]、日活の映画では凶悪、狂的な悪役を多く演じた[11]。 声優としては、『ムーミン』のムーミンパパ役や『銀河鉄道999』のナレーション、『となりのトトロ』のトトロ役で知られた[15]。『徹子の部屋』にゲスト出演した際にはトトロの独特な演技について語り、演技のさわりを披露している。 坪川拓史に「演劇青年がそのまま歳をとったよう」と評されるほど芝居好きで[16]、舞台公演ではベテランになってからも、初日稽古からどの新人よりも早く現れるほどだったという[2]。 『ムーミン』のムーミンパパ役は、演出のおおすみ正秋により抜擢された。おおすみによると、友人が出演する芝居を見に行ったところ高木も出ており、終演後の高木へ「よかったですよ」と声をかけたところ、高木は初対面にもかかわらずチューインガムを渡しておおすみを所有するフォルクスワーゲンで自宅まで送ったといいい、「その頃、彼は日活の映画で凶悪な悪人役(中略)ばかりやっていたが、私はチューインガムとワーゲンの印象で決めた(笑)」と語っている[11]。 あるアフレコ現場でパンの差し入れがあった際、先輩の勧めで生活の厳しい2人の新人が喜んでパンを手にしたところ、高木は「待て」と新人が手にしたパンを二つに割って半分ずつを渡し「お前たちは、まだ1個のパンを食べるのはナマイキだ。こうやって、半分にして食べろ」と言った。それを見た野沢雅子が「何を意地悪しているのか」と思い注意しようとしたところ、高木はその新人2人を見ながら「しっかりと精進していれば、パンなんかいくらでも食べられるようになる。今はまだ、半人前だから、パンを半分しか食べられないんだ。早く一人前になれ。だが、一人前になっても、1個のパンを仲間といっしょに半分こにして食べたことを忘れるな」と声をかけたといい、この言葉に野沢は感激したという[2]。 とある養成所での卒業公演を観劇し打ち上げに参加した際、肝心の出演者が舞台の撤収作業に手惑い遅れたことがあった。この時、参加した事務所の人間が手伝いもせず段取りの悪さをなじっているのを見た高木は「今日の主役はあいつらだろう!俳優をなんだと思ってる!」と激怒。高木や事務所の人間をはじめその場にいたほぼ全員ですぐに手伝いに行き、瞬く間に撤収は完了したという[2]。 2005年に公開された『美式天然』に出演していたが、クランクアップ前に死去した。出演に至った経緯は、監督の坪川拓史が高木に偶然道を聞かれ、その場で出演をオファーしたとのこと。電話で「早くしないと、おれ死んじゃうぞ」と言われたことが、最後に交わした会話だったという[14][16][17]。 東京都豊島区西池袋にある「やきとん屋千登利」は、高木の兄弟姉妹の一人が先代の店主をしていた[18]。 高木の死後、持ち役を引き継いだ声優は以下の通り。 後任役名概要作品後任の初担当作品 ※「 - 」は役名
来歴
人物・エピソード
後任
柴田秀勝ココ『メガゾーン23』『ザ・エクステンド・ストーリー』ラジオドラマ
辻村真人舜帝「バーチャファイターシリーズ」『バーチャファイター4』
ゴーグ・パパ『フラグルロック』
中庸助フランシス・ビークマン卿『紳士は金髪がお好き』フジテレビ版WOWOW追加収録部分
園江治ジェイベス・ウィルスソン『シャーロック・ホームズの冒険』DVD追加収録部分
出演(俳優)
舞台
キティ颱風(1950年、文学座)
ゴドーを待ちながら(1960年、文学座)
ジュリアス・シーザー(1967年、劇団雲)
夜叉ヶ池(1978年、演劇集団 円)
山の巨人たち(1983年、演劇集団 円)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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