1971年(昭和46年)8月のニクソン・ショック(ドル・ショック)による実質的な円の切り上げ、変動相場制移行は国際収支の過度な黒字を修正して経済の安定に寄与した。
1972年は3月に山陽新幹線岡山開業、5月に沖縄復帰を実現した。
1973年10月の第四次中東戦争をきっかけに原油価格が上昇し、日本はオイルショック(第1次オイルショック)に陥った。政府はインフレを抑制するために公定歩合を9%にまで引き上げた。 経済成長の陰で急速な工業化に伴い環境破壊が起こり「水俣病」や「イタイイタイ病」、「四日市ぜんそく」「第二水俣病」といった四大公害病の発生、大量生産の裏返しとしてのゴミ問題などの公害の問題が高度経済成長期後半になると深刻化した。[5] また、都市への人口集中による過密問題の発生と地方からの人口流出による過疎問題が発生した。高度経済成長時代も後半はその政策の見直しを迫られ、1967年の佐藤栄作内閣による公害対策基本法の制定や1971年の環境庁の発足、1972年の田中角栄による『日本列島改造論』の提唱につながることになる。
環境問題
各国での例
メキシコの奇跡(Mexican miracle) - 1940年代から1970年代にかけてのメキシコの経済成長
経済の奇跡(Wirtschaftswunder
栄光の三十年間(Trente Glorieuses