高島
町丁
高島町交差点から高島を望む
(2010年5月4日)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度27分44秒 東経139度37分24秒 / 北緯35.462308度 東経139.623372度 / 35.462308; 139.623372
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区西区
人口情報(2023年(令和5年)9月30日現在[1])
人口1,520 人
世帯数867 世帯
面積([2])
0.377 km²
人口密度4031.83 人/km²
設置日1966年(昭和41年)5月1日
郵便番号220-0011[3]
市外局番045(横浜MA)[4]
ナンバープレート横浜
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高島(たかしま)は、神奈川県横浜市西区の町名。現行行政地名は高島一丁目および高島二丁目。住居表示実施済み区域[5]。駅名や交差点名にも使われ、高島町と呼ぶこともあるが、1966年(昭和41年)5月1日の住居表示実施前の町名は表高島町、高島通、桜木町、内田町、西平沼町および平沼町であり、高島町という町は神奈川区内に存在したが、こちらは1932年(昭和7年)1月1日に金港町・鶴屋町に併合されたため廃止された。 高島一丁目の大部分と高島二丁目の国道1号より東側はみなとみらい地区として、現在再整備が進められている。また、高島二丁目は横浜駅東口の商業地にもなっており、前述の国道1号より東側の区域には百貨店のそごう横浜店や横浜スカイビルがあり、その他の区域には郵便局や専門学校、雑居ビル、オフィス、マンションなどが所在している(詳細は「#高島二丁目」を参照)。 江戸時代までは、袖ヶ浦と呼ばれる入海であった(詳細は「平沼 (横浜市)」を参照)。当地を含む周辺一帯の地域では、ここでも述べるように海岸(湾)の埋め立てを度々行うことで土地を拡大してきた歴史がある[6]。 1871年(明治3年)、鉄道敷設のために野毛浦から神奈川宿・青木海岸を結ぶ長さ1,400m、幅65mを帯状に埋め立て築堤[6]。幅9mを鉄道用地とするほかは、埋め立て事業者の高島嘉右衛門に貸与され、高島町と命名された。1872年(明治4年)に横浜駅(現:桜木町駅) - 新橋駅(後の汐留駅)間で鉄道が営業開始すると周辺も繁栄、町の入海側は順次埋め立てられてゆき、そこに現在の横浜市街が形成された。 その後、旧表高島町[注 1]の埋め立て[6]により貨物線(通称高島線)が敷かれ、1913年(大正2年)には高島駅・高島ヤードが造られた[7][8]。
概要
歴史1874年の海図
左上の入海(平沼と記載)と海に挟まれている帯状の土地が高島町
(海図はクリックで拡大可)