東京都立足立西高等学校卒業後[10]、DJになる方法がわからず芝居を続けるために日本工学院専門学校演劇科に入学[12]するが、先行きが不安になり芝居一切を止めようと中退して一時はOLとして働いていたものの、電話を取り次いだときに相手から「いい声だね」と褒められたことがきっかけで22歳で声優を目指し[14]、1985年にサンハウスミュージック声優部に入所するが[10]、その後に知り合ったマネージャーに声の仕事がしたいならうちに来ないかと誘われ1986年9月より81プロデュースに入所[2]、3年の新人期間のうち2年で芽が出なければ諦めてくれと言われ1年で結果を出そうと決心する[13][16][17]。
当初はヒロイン役のオーディションを受けていたが、可愛らしく読もうとしても「もっと女の子らしく」と別々の音響監督から言われ、3回連続で落ちたことからヒロインは向いていないのかもしれないとマネージャーに相談して少年役のオーディションを受けることになる[16]。1987年に『学園特捜ヒカルオン』の女子生徒役でデビュー[4]。その後少年役を回してもらうようになって3回目で『ミスター味っ子』の味吉陽一役で初主演を果たした[16]。
1989年には、アニメ映画『魔女の宅急便』でキキとウルスラの二役にも抜擢され、作品もヒット、一人二役は急遽決まったことで新人の自分には責任が持てないと断ろうとしたが宮崎駿から「責任は自分が持つから安心して」と言われ、自分が持てる限りのアンテナを駆使して挑戦、声優としての転機になった作品であった[12][注 2]。
ところが、このことで大役でないと受けてもらえないと思われ一時的に仕事が激減[12]、レギュラーが『らんま1/2』シリーズの天道なびき役のみという時期もあり、落ち込むが気を取り直して近所でアルバイトを始め、1990年代に入ると、『楽しいムーミン一家』(ムーミン役)、『まじかる☆タルるートくん』(江戸城本丸役)、『剣勇伝説YAIBA』(鉄刃役)など、少年役を中心に多くの作品で主人公・主要キャラクターを演じるようになり[12]、人気も定着。特に主役を演じている『忍たま乱太郎』の猪名寺乱太郎役と『名探偵コナン』の江戸川コナン役は、それぞれ1993年・1996年の放送開始から20年以上続いており、幅広い世代に高山の声が認知されることとなった。2005年にはリニューアルされたアニメ『ドラえもん(テレビ朝日版第2期)』でスネ夫のママ役に抜擢される。2007年には『ゲゲゲの鬼太郎(第5作)』で鬼太郎[18]、2010年には『デジモンクロスウォーズ』で工藤タイキの声をそれぞれ担当[19]。
2011年には、第5回声優アワードにおいてシナジー賞を受賞した[20]。