康王時代に5人の娘がおり、いずれも靖康の変に際し北遷された。 光宗の時代、高宗の娘を自称する一人の老婦が南宋に突然現われた。連行途中で脱落し、ケ元亮に養われて江西で成長したという。光宗は彼女の身分を認め、郡主の位を授けた。本物であるとすれば、康三宗姫・康四宗姫・康五宗姫の3人のいずれかである。
備考
年号
建炎:1127年 - 1130年
紹興:1131年 - 1162年
脚注^ 『宋史』巻32, 高宗紀九 紹興三十二年六月丙子条による。
^ 金の宗室の完顔宗賢に妻にされて、ふたりの男子(高宗の異父弟)を産んだ。
^ 『靖康稗史箋證』巻5:賜宋妃趙韋氏、?王妃朱鳳英、康王妃?秉懿、姜酔媚,帝姫趙??、王女粛大姫、粛四姫、康二姫,宮嬪朱淑媛、田芸芳、許春雲、周男児、何紅梅、方芳香、葉壽星、華正儀、呂吉祥、駱蝶児浣衣院居住者。
^ 『靖康稗史箋證』巻3:康一即仏佑、康二即神佑均二起北行、入洗衣院
^ 『靖康稗史箋證』巻3:韋賢妃、随入斎宮
^ 木村 P.175
^ 飯島 P.233
^ 中西 P.164
^ 西林 P.100
^ みな追い出され、実家へ返された。
^ みな高宗の即位後数年間、流亡中の側室。多くは死去あるいは消息不明となった。
^ みな高宗の崩御後、実家へ返された。
出典・参考文献
飯島春敬編 『書道辞典』(東京堂出版、初版1975年)
木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、初版1971年)
中西慶爾編 『中国書道辞典』(木耳社
西林昭一・石田肇 「五代・宋・金」(『ヴィジュアル書芸術全集 第7巻』 雄山閣、初版1992年)ISBN 4-639-01036-2
太祖960-976 / 太宗976-997 / 真宗997-1022 / 仁宗1022-1063 / 英宗1063-1067 / 神宗1067-1085 / 哲宗1085-1100 / 徽宗1100-1125 / 欽宗1125-1127
南宋
高宗1127-1162 / 孝宗1162-1189 / 光宗1189-1194 / 寧宗1194-1224 / 理宗1224-1264 / 度宗1264-1274 / 恭帝1274-1276 / 端宗1276-1278 / 祥興帝1278-1279