高倉健
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沢木耕太郎の発言によれば高倉はジョン・フォードの『長い灰色の線』やリチャード・ギア主演の『愛と青春の旅立ち』も好き[143] で、NHKのインタビュー番組によれば笠智衆を尊敬しており、リドリー・スコットの『グラディエーター』が好きだという[144]。『網走番外地』シリーズでは、共演した由利徹[注釈 11]と高倉のコミカルなアドリブ演技がシリーズの見せ場の一つとなった。一部のマスコミからは、「高倉は“最も信頼を置く俳優”として由利を終生敬愛した」とも言われている[145]
高倉ファンの著名人や高倉を尊敬している役者たち

黒澤明は自身の「映画ベスト100」的な企画で『遙かなる山の呼び声』と『あ・うん』の2本を入れている[146]

三島由紀夫は、高倉や鶴田浩二主演の任侠映画を好み、特に『昭和残侠伝 死んで貰います』を高評価していた[147]三島事件当日も、事件現場となった市ヶ谷駐屯地へ向かう車内で他の「楯の会」メンバーと『唐獅子牡丹』を歌ったという[148]

美輪明宏は『スポーツニッポン』の連載で高倉を尊敬しているという記事を書いた[149]

鈴木敏夫は幼少のころから映画ファンであり、父と母の影響もあり邦画から洋画まで何でも見ていて、著書で高倉も好きな俳優にあげている[150]

ジョン・ウーは、『映画秘宝』2004年6月号と7月号のインタビューで高倉を憧れの映画スターの一人に挙げている[注釈 12]。また『男たちの挽歌』のユンファの衣装やキャラは『網走番外地』や『ならず者』の影響があり、『駅 STATION』はリメイクしたい作品だと語っている[152]

文春ムック「高倉健 KenTakakura 1956-2014」によれば、鴨下信一は「初心者はまず『網走番外地』から初めよ」と発言[153]。鈴木敏夫は『日本侠客伝 昇り龍』を「仁侠映画の最高傑作」としている[154]。また同書を書評した七つ森書館の編集者・上原昌弘は同評で「わたしにとって高倉健は『幸福の黄色いハンカチ』のヒト。号泣しましたねえ。」と発言[155]

野沢尚は1999年にキネマ旬報が行ったアンケートで『駅 STATION』を選んでいる[156]。同企画で石井克人は『幸福の黄色いハンカチ』をベスト作品に選んでいる[157]

春日太一のインタビュー本で仲代達矢は、かつて「雲の上の存在」といわれ神秘性を持っていた映画俳優たちだが、インターネットなどの影響で神秘性がなくなり「役者」という重い響きが似合う俳優がいなくなった現在においても、神秘性を持つ数少ない役者として高倉の名を挙げている[158]

前田敦子は映画に関する自身の著書で、『幸福の黄色いハンカチ』を好きな映画に挙げている[159]

仕事への真摯な姿勢に北大路欣也も影響を受けたと述べている[160]
その他

映画関係者や旧友から、本名を「おだ ごういち」と呼ばれることが多く、高倉もそう呼ばれることを否定しなかったが、親族が呼ぶ本名は「おだ たけいち」であり、高倉の姪もそう証言している[161]先祖の一人に北条篤時(金沢文庫の創設者・実時の子)がいる[162]。篤時の子孫は九州[7] で北条の名を捨て「小松屋」の屋号で両替商を営み、後に福岡藩黒田家から名字帯刀を許されてて田姓を名乗るようになった[7]江戸時代末期に『東路日記』を記した、筑前国庄屋内儀・小田宅子(おだ いえこ)も先祖にあたる[163]。また高倉は生前、小田貴月という33歳年下の女性を養女にしており[164]、17年近く同棲していた事が死後に判明していた中、2023年にNHKにて放送された番組にて「最後の17年をともに過ごした『パートナー』」として紹介された[164]


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