騎士道
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騎士道の美徳を備えず、騎士でない者は、国の王たる、君主たる資格も主君たる資格も持たない。
騎士の十戒レオン・ゴーティエ『騎士道』(1884)

フランスの騎士道文学の研究者レオン・ゴーティエが長年の武勲詩の研究に基づいて編纂した中世盛期騎士道の『十戒』とその概要は以下の通りである[2]
第一の戒律 汝、須らく教会の教えを信じ、その命令に服従すべし

何人も、洗礼を受けクリスチャンになることなくして騎士になることは出来ない。信仰の中に信仰のために死ぬことこそが騎士の義務であり、この戒律を地上で守ったものは、天国において絶対的名誉と共に聖なる花の芳香に包まれ報われる。
第二の戒律 汝、教会を護るべし

第二の戒律は第一の戒律を補完するものであり、キリストの戦士たちは常にこの文言を守ることを求めらる。騎士とは、教会の教えを守護する戦士であり、その血は一滴残さず聖なる教会の守護に流されねばならない。
第三の戒律 汝、須らく弱き者を尊び、かの者たちの守護者たるべし

第三の戒律において「弱き者」は教会を含むがそれに留まらない概念であり、騎士には世の中のあらゆる弱者を守護する任務が与えられる。騎士は、特に神に仕える聖職者、女性と子供、寡婦、そして孤児の守護者たらねばならない。
第四の戒律 汝、その生まれし国家を愛すべし

騎士は生まれ故郷の街や、自らの領地への狭い愛着心でなく、国全てを愛する「愛国心」を持たねばならない。
第五の戒律 汝、敵を前にして退くことなかれ

第五の戒律は戦場おいて繰り返し発揮された戒律であり、当時の騎士たちは「臆病者たるより死を選べ――一人の臆病者が全軍団を怯ませる!」「敵の撃滅か我らの全滅、それ以外になし!」と唱和した。また剣に対して飛び道具である投げ槍や弓は臆病者の騎士が使う武器と見做され、「初めに弓引く者に不幸あれ。かの者は肉弾戦に能わぬ臆病者なのだ」という警句も残されている。
第六の戒律 汝、異教徒に対し手を休めず、容赦をせず戦うべし

騎士道の武勇の発露として唯一正当性を持つのは、それを異教徒相手に発揮した時だけである。異教徒の侵略を食い止めるために戦い、また時には十字軍として敵地に侵攻することは、騎士の最高の献身であり貢献であった。
第七の戒律 汝、神の律法に反しない限りにおいて、臣従の義務を厳格に果たすべし

第七の戒律が教えるのはあらゆる封建的義務の遂行と、主君に対する揺るがぬ忠誠心である。臣下は主君に対し、その命令が詐害行為でなく、そして信仰、教会、弱き者を害するものでない限り、万事において服従する義務を有する。
第八の戒律 汝、嘘偽りを述べるなかれ、汝の誓言に忠実たるべし

騎士は偽りに警戒し、そして嘘を述べることは唾棄すべきことと知らねばならない。
第九の戒律 汝、寛大たれ、そして誰に対しても施しを為すべし

寛大さこそ騎士道の本質の一つである。寄進や贈答ほど偉大なことはなく、騎士は救貧院や病院の建設や、貧しい部下への寄付など、進んで喜びを持って手放さねばならない。
第十の戒律 汝、いついかなる時も正義と善の味方となりて、不正と悪に立ち向かうべし

騎士とは、常に助けを求められているがごとく耳を傾ける者である。そして騎士は秩序の守護者、不正義の復讐者なることをゆめ忘れてはならない。
その他文献聖ヨハネ騎士団の紋章(マルタ十字

聖ヨハネ騎士団の紋章(マルタ十字)は騎士道の次の教えを表していると語られる。

十字架の4つの腕は基本的な道徳を表し、それぞれ慎重さ、節制、正義、不屈の精神を意味する。8つの尖った角は山上の垂訓の8つの恵みを表し、それぞれ謙虚、思いやり、礼儀、献身、慈悲、清らかさ、平和、忍耐を意味する。

教会博士である聖ベルナールテンプル騎士団に対して次の著名な書簡を著している。

(テンプル騎士団の騎士たちは)主の戦争を戦うことが許された、疑いようのないキリストの戦士なり。…彼らがキリストの為に死を選ぶ行為も、敵に死を与える行為も、それは栄光以外の何物にもあらず、ましてや罪には断じてあらず! キリストの戦士たちが携える剣は飾りではない。それは不道徳を浄化し、正義に栄光をもたらすものなり。悪人に死をもたらすは殺人にあらず、敢えてこの表現を用いらば、異教徒を征する誅殺なり!

また、シャルトル大聖堂には次の騎士の祈りが刻まれている。

この上なく聖なる主、全能の父よ…あなたは邪まな者の悪意を砕き正義を守るために剣を使うのを、我々にお許しになりました…どうか貴方の前にいるこの下僕の心を善に向けさせ、この剣であろうと他の剣であろうと、不正に他人を傷つけるためには決して使わせないようになさってください。この下僕に、常に正義と善を守るために剣を抜かせてください。
近世騎士道

近世以降キリスト教国同士の戦争が相次ぎ、その過程で国家主義の概念が形成されると、騎士道も天上の神でなく、地上の主君への忠誠を命ずる規律へと変容を遂げた。さらに中世後期以降、アーサー王伝説を始めとした情緒的な騎士道文学が流布したことにより、騎士道に宮廷的価値観と、貴婦人に対する献身的愛情というロマンス要素が吹き込まれた[2]。こうして「神への献身、異教徒との戦い、弱者の守護」を核心とした中世盛期の戦士の規律は、数百年後の近世には「主君への忠誠、名誉と礼節、貴婦人への愛」を骨子とした宮廷人の価値観へとその姿を変えた。

フランスのエレノア・アクラエムは、このロマンス騎士道について「騎士道とレディのルール」を示している。ここでは騎士に「レディ」が重要な役目として登場する。騎士はレディを崇拝し、保護し、心の中だけで愛する存在として登場し、レディはそれに対して慈愛を与えるのである。良くあるのが主人の騎士の奥方を愛す若き見習騎士。彼は奥方の心を射止めようと努力をするが、これは「心の愛」で満足しなくてはならない。「肉体の愛」は禁じられている。そして主人は二人の関係を知っておきながら、知らないようによそおう。という構図となる。これが特殊化しミンネとよばれる騎士とレディの愛物語(宮廷愛)と現実もなっていく。騎士側の非姦通的崇拝は騎士道的愛だが、一方、貴婦人側からの導きを求めつつ崇拝するのが宮廷的至純愛である。

この関係の奇妙な例として、あるトーナメントのエピソードがある。ある騎士はレディとの約束(願掛け)で馬上槍試合に甲冑をつけず、そのレディのドレスを着て闘う事を誓った。その結果、彼は大けがをするのだが、レディは彼の気持ちを「その試合で騎士がつけていた血だらけとなったドレス」を身にまとい、パーティに出席することで応えた。
武士道と騎士道

騎士道とは西洋一般の行動規範であるが、日本にも武士道と呼ばれる規範が存在し、騎士道と対比されることがある。武田による対比を以下に示す。

騎士道と武士道の時代的変遷の比較(武田による[2])騎士道武士道
ゲルマン戦場での武勲が第一、決して引いてはならない戦国勝利が第一、戦うべき時に戦う= 戦場における行動原理
↓(キリスト教の影響)↓(儒教思想の影響)
中世盛期神への献身、異教徒との戦い、弱者の守護江戸主君への忠誠、誠実である、世のため行動する= 道義論的価値観
↓(国家主義、中世騎士物語の影響)↓(国家主義の影響)
近世主君への忠誠、名誉と礼節、貴婦人への愛明治主君への忠義、名誉と敬意、フェア・プレイ精神= 民の上に立つ者としての規範

表に示された通り、ゲルマン民族の価値観と戦国武士道は、戦闘者の心得として相通じる規律であった。それが時代とともに教化され、両者ともに道義論的価値観への変容を見る。最後に、この道徳観に国家主義を背景とした公の精神が吹き込まれることで、民の上に立つ者としての規範が完成した。即ち、騎士道と武士道は源を同じくしながらも、その道徳観を形成した価値観の違い(キリスト教と儒教)と、ロマンス要素の有無という二点において、徐々にその道を分かったとされる[2]。特に顕著な例として、近世騎士道では貴婦人への愛が重要な要素である一方、武士道にそうした教えは見られない。

武士は主人に対して主従を結ぶのに対して、騎士の誓いは神との契約であり、帰依するのはあくまでも神の教えである。したがって主が神の教えに背く理不尽な命令をした場合、自分の心の中に聞こえる声を聞くことでそれを拒否しても良いとされる[2]

総じて、武士道は自身の名誉や意地を、騎士道は正しさを重んじるという差がある。戦争において武士道では敵への降伏を拒否しての自殺があるが騎士道にはこれがなく、代わりに死ぬまで抗戦することを選ぶ。言うまでもなく、キリスト教は自殺を禁じているためである[注釈 3]

なお、その理念の成立時期は、両者で大きく差があるように思えるが、騎士道が成立した中世盛期は、日本においては武家政権が本格始動した鎌倉時代である。この時代に「弓馬の道」なる武士道の起源が成立しており、その意味では多少共通点があると言えよう。また山岡鉄舟によれば、武士道なる概念は、中世より存在していたが、自分が名付けるまでは「武士道」とは呼ばれていなかったとしている[6]
関連した作品ドン・キホーテギュスターヴ・ドレによる挿絵)


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