駒澤大学
1925年 : 大学令により認可、「駒澤大学」に改称、文学部(仏教・東洋・人文の3学科)、旧1号館が完成
1928年 : 1923年に倒壊した図書館の代替として菅原栄蔵の設計したフランク・ロイド・ライト式建築の図書館(耕雲館、現・禅文化歴史博物館)が完成
1930年 : 北原白秋作詞・山田耕筰作曲の駒澤大学校歌を制定
1932年 : 旧2号館が完成
1937年 : 旧大講堂が完成
1943年 : 駒澤大学出陣学徒壮行会を挙行、校舎の一部が航空兵器総局輸送部施設となる
1945年 : 東京大空襲により、旃檀林の伽藍と学寮は経蔵(書庫)を残して焼失
1949年 : 新制大学へ移行、仏教学部・文学部・商経学部を設置(3学部9学科)
1950年 : 駒澤短期大学を開設、仏教科を開設
1951年 : 学校法人駒澤大学に組織変更。広川弘禅農相の仲介で三井物産元社長の小林正直から渋谷校地を購入
1952年 : 大学院に人文科学研究科仏教学・哲学・国文学・社会学の修士課程を設置、渋谷分校(商経学部第二部、附属高校)
1960年 : 10号館が完成、全国同窓会を組織
1961年 : 駒澤エックス線技師学校設立、野村證券に渋谷校地を譲渡、祖師谷グラウンド購入
1962年 : 開校80周年、禅学大辞典を編纂
1963年 : 5号館が完成、北海道岩見沢市・苫小牧市に校地を購入する
1964年 : 法学部を設置、講堂兼体育館(6号館)完成。岩見沢市に北海道教養部を設置
1965年 : 商経学部を経済学部に改称
1966年 : 大学院人文科学研究科英米文学・地理学・日本史学専攻の修士課程と大学院商学研究科商学専攻修士課程を設置
1967年 : 玉川グラウンド(わかもと製薬東京工場跡地)を購入する。8号館・第4研究館・大学会館が完成
1968年 : 学園通信が創刊、4号館が完成、大学院人文科学研究科英米文学・地理学・日本史学専攻と大学院商学研究科商学専攻に博士後期課程を設置
1969年 : 経営学部を設置、禅研究所を開設
1970年 : 第3研究館・第2体育館が完成
1971年 : 法学部と経営学部に2部を設置
1974年 : 玉川校舎と玉川ホールが完成する
1975年 : マス・コミュニケーション研究所を開設、禅研究館が完成する
1977年 : 東急新玉川線(現在の田園都市線)が開通し「駒沢大学駅」開設
1982年 : 開校100周年記念講堂を建設、旧大講堂と旧1・2号館を解体
1999年 : 北海道教養部を廃止、深沢校地(旧三越迎賓館)を購入する
2002年 : 禅文化歴史博物館設置、開校120周年記念事業(キャンパス再整備等)開始
2003年 : 医療健康科学部を設置
2004年 : 法科大学院を設置、人文科学研究科の日本史学専攻を歴史学専攻に改組
2006年 : 駒澤短期大学の学生募集を停止。グローバル・メディア・スタディーズ学部を設置
2007年 : 大学院に医療健康科学研究科診療放射線学専攻を開設。深沢キャンパス竣工。大学基準協会による機関別認証評価をうけ同協会が定めた大学基準に適合している事が認証される[4]
2010年 : 大学院に医療健康科学研究科診療放射線専攻 博士後期課程を開設
2013年 : 大学院にグローバル・メディア研究科を開設
2018年 : 駒澤大学開校130周年記念棟「種月館」竣工[5]
2020年:大学院に仏教学研究科仏教学専攻を開設[6]
2021年 :2023年度以降の法曹養成研究科(法科大学院)の学生募集停止を発表[7]
2022年 :駒澤大学図書館(新図書館)を開館[8]
基礎データ駒沢キャンパス正門
所在地
駒沢キャンパス(東京都世田谷区駒沢1-23-1)
深沢キャンパス(東京都世田谷区深沢6-8-18)
玉川キャンパス(東京都世田谷区宇奈根1-1-1)
象徴
校章は「大學」の象形文字をデザインしたものである。極めて大きい心で、すべての学を蔽い尽くしているというさまを表す。
襟章は三角形の頂点が「喜心」「老心」「大心」の三心を象徴している。
喜心 - 自らが、この世に生をうけたことを喜ぶと共に、他を喜ばせようと願い続ける心。
老心 - 父母が子をおもうように、生きとし生けるものへの慈しみの心。
大心 - 大山の如く高く、大海の如く広く、いずれか一方だけに偏り、また党するのでなく、常にこだわりのない公平な心。
シンボルマーク(平成10年3月20日制定)は、駒澤大学の頭文字「K」をモチーフにデザインされた(商標登録第4300018号)。「栴檀の葉が過去から未来へとまっ直ぐに 力強く伸びつつあるさま」、「慈悲」、「知性と知恵」をあらわしている。シンボルマーク制定以前は、仏教の教えをイメージした転法輪を用いていた。[9]
校歌・応援歌.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに駒澤大学校歌の原文があります。
駒澤大学校歌(1930年制定)- 作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰
1929年、應援團が世田谷区若林の北原白秋邸に赴き駒澤大学校歌の制作を依頼(『應援團誌』[10])。
第一応援歌「燃えよ闘魂」(1953年制定)- 作詞:吉川静夫、作曲:服部正
第二応援歌「採れよ栄冠」- 作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰
第三応援歌「勝利の翼」
「飛べよ熱球」
「駒澤大学應援指導部ブルーペガサス」も参照
スクールカラー
スクールカラーは紫(むらさき■)をシンボルマークや駅伝の襷の色などに採用している。
歴代学長 学監
新井石禅(?)
大森禅戒(1899)
藤田俊訓(1958 - 1975)
総監
初代 辻顕高
(1885-1889)
2代 星見天海(1887-1888)
3代 福山黙堂(1889-1891)
4代 原坦山(1891-1903)
5代 山腰天鏡(1903-1909)
曹洞宗大学学長
秋野孝道(1909-1917)
丘宗潭(1918-1924)
学長
初代 忽滑谷快天(1925-1934)
2代 大森禅戒(1934-1937)
3代 立花俊道(1937-1940)
4代 宇井伯寿(1941-1942)※文化勲章
5代 中根環堂(1942)
6代 山上曹源(1943-1945)
7代 立花俊道(1945-1947)※2回目
8代 岡田宜法(1947-?)
・代 山田霊林(1964-1967)
・代 榑林皓堂(1968-?)
・代 水野弘元(?-?)
・代 桜井徳太郎(1986-1989)※以降、公選制
・代 平井俊榮(1990-?)
・代 阿部肇一(1993-1994)
・代 奈良康明(1994-1997)
・代 雨宮眞也(1998-2001)
・代 大谷哲夫(2002-2006)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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