駐日英国大使
[Wikipedia|▼Menu]
駐日本国英国大使(ちゅうにほんこく えいこくたいし)とは、日本に駐在するイギリス政府が派遣した特命全権大使
概要

日本イギリス1854年10月14日嘉永7年8月23日)、日英和親条約を締結し、さらに1858年7月18日安政5年6月8日)、日英修好通商条約江戸幕府エルギン伯爵ジェイムズ・ブルースの間で調印されたことにより、正式に日英間の国交が結ばれた。この条約に基づき、1859年7月6日(安政6年6月7日)に高輪東禅寺(現在の東京都港区)にイギリス総領事館が設置され、初代総領事としてラザフォード・オールコックが着任した。この時のオールコックの肩書きは「全権」領事という変わったものであった。当時のイギリスでは、領事は在留イギリス国民の利益を保護する立場にはあるものの「外交官」ではないとされていたが、オールコックには法的には「全権」が与えられており、実質的には外交官としての役割が期待されていた。オールコックは後に公使に昇進するが、これは領事から公使へ昇進した最初の例であった。

また、19世紀の慣例では大使を交換するのは大国間に限られており、その他の国に派遣される外交官の主席は公使であった。日本が日露戦争に勝利した1905年明治38年)、当時の駐日公使であったクロード・マクドナルドが大使に昇進したため、初代の駐日英国大使ということになる。

イギリスは東京都千代田区一番町駐日英国大使館を設置しており、駐日英国大使は同所で執務する。なお、大阪府大阪市中央区には総領事館を設置している。加えて、福岡県北九州市小倉北区に名誉領事館がある[1]
歴代の公使・大使

代数着任年氏名階級
日本語英語
1
1859年(安政6年)サー・ラザフォード・オールコックSir Rutherford Alcock全権領事
1862年(文久元-2年)から
全権公使
21865年慶応元年)サー・ハリー・パークスSir Harry Smith Parkes全権公使
31883年(明治16年)サー・フランシス・プランケットsir Francis Richard Plunkett
41889年(明治22年)ヒュー・フレイザーHugh Fraser
51894年(明治27年)パワー・ヘンリー・ル・プア・トレンチPower Henry Le Poer Trench
61895年(明治28年)サー・アーネスト・サトウSir Ernest Mason Satow
71900年(明治33年)サー・クロード・マクドナルドSir Claude Maxwell MacDonald全権公使
1905年(明治38年)より全権大使
81912年大正元年)サー・ウィリアム・カニンガム・グリーンSir William Conyngham Greene全権大使
91919年(大正08年)サー・チャールズ・エリオットSir Charles Norton Edgecumbe Eliot
101926年(大正15年)サー・ジョン・テイリーSir John Anthony Cecil Tilley
111931年昭和06年)サー・フランシス・リンドリーSir Francis Oswald Lindley
121934年(昭和09年)サー・ロバート・クライヴSir Robert Henry Clive


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef