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3月27日に老河口飛行場の乗馬襲撃、占領に成功し、世界戦史における騎兵の活躍の最後を飾った[注 24]

広義の軍用である「兵器製造過程」での運搬として、零式艦上戦闘機の運搬に、北海道の馬(重種)が名古屋近郊の工場に移送されて使われたことが、吉村昭の『零式艦上戦闘機』(1978年、新潮文庫)に詳しく書かれている。当時の最新技術の成果である飛行機の生産と実用化が、名古屋の三菱重工業大江工場から各務原飛行場までの約50キロもの道のりの運搬に、当初は牛、のち生産終了まで馬に全面的に頼っていたことに吉村は強い衝撃を受け、執筆動機となったと本人が述べている。

現代の軍隊では基本的に、戦力としては用いられておらず、儀仗隊として活動している。一部の軍では「軽装甲で迅速に展開・撤収が可能な部隊」という騎兵の役割を担う部隊に「騎兵」という名称を残している。イギリス軍では1793年創立の王立騎馬砲兵が榴弾砲を扱う部隊として存続している。山岳部隊を保有している国では、峻嶮な地形での物資輸送をウマやロバで行っている事例がある。
医療

民間療法として、馬肉・馬脂には解熱効果があるとされ、捻挫などの患部に湿布として使用される(民間薬)。馬肉パックと称して美肌効果を期待する向きもある。また馬脂(馬油は商品名)は皮膚への塗布用のものが販売されている。人間に最も近い自然の油であるため、大火傷、日焼け、虫刺され、霜焼け、しみ、皺、白髪等に効果があると言われる。

ビクトリア朝時代から、ヘビ毒抗毒素などにウマが使われている[52]。ウマは人間への感染症リスクが牛などより少なく、毒蛇への耐性もあり、血も大量に得られることから選ばれていたが、より血清病などのリスクが低いヒツジや人間の臓器を再現したオルガノイドを使用する方向に移行しつつある[53][54]
皮革

馬革はホースハイドといい牛革(成牛革)よりも滑らかである[55]。ホースハイドは革製品の裏革などに用いられる[55]。また、ベンズ部をタンニンで染色加工したものはコードバンと呼ばれる最高級品で緻密で強靭な構造を持つ[55]。コードバンはバッグ、紳士靴、財布、ランドセルなどに用いられる[55]
尾毛詳細は「馬毛」を参照

太く長いので、ヴァイオリン胡弓ヴィオール二胡など擦弦楽器毛に用いられる。またモンゴルの馬頭琴など、騎馬民族の擦絃楽器では弓毛に加え、も本来馬尾毛である。この他、織物に使用することがある。
警察馬バッキンガム宮殿前を通るロンドン市騎馬警官詳細は「騎馬警官」を参照

警察が市内パトロールのために使用した。現在でも一部の国の衛視が使っているが、日本では主に明治時代から昭和初期までであり、それ以降は警察車両に取って代わられたため殆ど無用となってしまった。

警視庁(東京府・東京都の警察)では伝統を重んじる姿勢から、第三方面交通機動隊の中に騎馬隊を維持しており、平成19年6月現在16頭の警察馬を徴用している。また、京都府警でも「平安遷都1200年」を記念して1994年2月10日に京都府警平安騎馬隊が創設されている。しかし、活躍の場はいずれも交通安全パレードの時の市中警戒に使用される程度である。

騎馬警官が市街地の警備や交通整理を担う場合もある。自動車と比べ環境を劣悪化させる排気ガスや騒音を出さないクリーンな乗り物であるが、乗馬者にとっての環境が未整備ということもあり、大々的には行われていない。海外では、ニューヨークロンドンなどの大都市で使用されている。これは騎乗することにより遠くまで見渡すことが出来、威圧感もあることと、もともと街中に乗馬のための設備がそろっていることによる。

カナダの国家警察は自動車が発明される前に創立し、馬で移動・巡回をしていたため、王立カナダ騎馬警察(Royal Canadian Mounted Police)を称している。
文化 
伝承・民話・神話
馬頭観音

仏教における菩薩の一尊として、馬頭観音がある。

日本では馬の守護仏としての信仰があり、馬の供養として祀られている。
養蚕と馬

日本では江戸時代後期から近代にかけて養蚕が盛んに行われ、養蚕に関係する民俗も成立した[56]。養蚕には動物に関わる民俗があり、と馬に関するものが知られる[56]。猫は養蚕が害獣であるネズミを捕食することからネズミ避けとして珍重されているが、馬と養蚕の関係は昔話の『馬娘婚姻譚』に由来する[56]

『馬娘婚姻譚』は人間と異者が結婚する異類婚姻譚の一種で、馬と娘との悲話が語られる[56]。これは東北地方から九州まで日本各地に分布し、特に東北地方ではおしら様信仰と結びついてる[56]
伝承

Category:架空の馬

Category:神話・伝説の馬

甲斐の黒駒

異馬

絵の中の馬 - 名人の描いた馬が絵から抜け出る話が各地に存在する。

古今著聞集』巻第十六には、仁和寺の御座所の壁に、名人 巨勢金岡が馬の絵を描いた。すると、寺の近隣では夜な夜な、田の稲が喰い荒らされるようになった。犯人は不明であったが、絵の中の馬の足がしばしば泥にまみれていたので、人々は絵から抜けて出して田を荒らしていると考え、壁絵の馬の目を潰すと被害は絶えた。


カンタ(仏陀の愛馬)

ブケパロス(アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)の愛馬)


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