江戸期の太平の時代になると、軍馬としての馬の需要は減り、一方で市民経済の発展に伴って荷馬に用いられるものが増えてきた。(既に中世から荷馬として多く用いられていた→馬借)西洋とは異なり日本では馬車は発達せず、馬に直接荷を背負わせる方法が主流であった。また、農馬は田の耕作や木材の搬出、副次的に馬糞を田畑への肥料とするため飼養された。なお、日本馬は蹄が硬いため蹄鉄を必要とせず、馬には専用のわらじ(馬沓)を履かせていた。 明治に入り、明治4年6月5日(1871年7月22日)に平民の乗馬が許可され[45]、民間での娯楽としての乗馬の道が開けた。日清戦争・日露戦争以降には軍馬の改良をすすめるため軍馬資源保護法を制定し日本在来馬の禁止などの政策がとられ[46]、本格的な品種改良を伴う洋式競馬も創設された(詳しくは競馬の歴史 (日本)参照)。太平洋戦争後の経済復興期に日本国内の道路網の舗装が整備されて自動車が普及するまで、ウマは農耕、荷役、鉄道牽引などに用いる最も一般的な実用家畜であり、最大時国内で農用馬だけで150万頭が飼育されていた。 1945年、連合国軍最高司令官総司令部指令により国による馬の施策、研究、団体の解散と再編が実施された。 太平洋戦争直後の1950年に飼育されていたウマは農用馬だけで100万頭を超すが、農業の機械化に伴って需要は急減していき、1960年代中頃には30万頭に、1975年には僅か42,000頭まで減った。2001年の統計では、国内で生産されるウマは約10万頭で、そのうち約6万頭が競走馬で、農用馬は18,000頭にすぎない。※食肉用に肥育されるウマ(肥育馬)は、農用馬に分類されている。 2005年現在では日本在来馬は8種、約2,000頭のみとなった。なお、道路交通法上、馬が引く車および人の騎乗した馬は軽車両に分類される。 昔から馬を大切にしていた地方では現代でも、馬は「蹴飛ばす」=「厄を蹴飛ばす縁起物」などと重宝しているところもある。 モンゴル高原の遊牧民の間では、現在でもウマは重要な乳用家畜の一つであり、発酵乳食品(馬乳酒:アイラグおよびヨーグルト:タラグ)の重要な原料となる[47]。 馬肉は馬を使う民族でも食べない地域がある。 日本でも地域によって異なる。 荷物を背負わせたり、荷車、橇、運河の船などを引かせるために用いる。駄獣・伝馬に乗せられる荷重は40貫目(150kg)までと決められていた[48]。また江戸時代に使われた馬が背負う単位として駄が使われ、江戸時代の定めでは三十六貫(135kg)を言った[49]。競馬などでは負担重量は年齢と体格などで決められており、だいたい60kg下である。道路の状態によるが一頭が引ける力は馬力と呼ばれる。馬種、馬の体格、車輪付きかそりか、道路の状態、馬具などによって運べる重量は変化する。ばんえい競走では、最高の1,000sのソリを運ぶ[50]。 馬車を引かせるためにも使う。ただし古代にチャリオットを引いていた場合は「軍用馬」(後述)と分類するほうが適切であろう。
近代
戦後
乳の搾取
食肉
荷役(荷役馬)
カナダ、ユーコン、ドーソンで荷物を運ぶウマ(1899年)
カナダで橇を引くウマ(1900年ころ)
二頭のウマに2本の丸太を背負わせストレッチャー状にして負傷者を運ばせているところ(1876年)
米軍の通信隊が無線テレグラフ装置をウマに運ばせる時の背負わせ方の例。軍隊で荷役に使う場合は「軍用馬」にも分類される。
pac saddleとpac bagを組み合わせて荷物を背負わせ運ばせている様子(1980年ころ、オーストラリア)
エンジンが無かった時代、運河では狭すぎてセイリング(帆による航行)が無理なので、船はウマ(やロバ)などに引かれて進んだ。この写真はイギリスのen:Grand Western Canal
インド、カシミールで芋を背負い運ぶウマ(現代)
チベットのガイドのウマが荷物を運ぶ様子(現代)
荷を背負いつり橋を渡るウマ(現代)
丸太を運ぶウマ(現代)。動画。
馬車をひく(馬車馬、ばしゃうま)
古代ギリシア
1840年ころのフランスの馬車の再現(博物館展示)
1905年、米国ネヴァダ州。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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