馬英九
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2012年5月20日、第13代中華民国総統に就任(2期目)[26] し、任期満了となる2016年5月20日に退任した。
退任後

2017年3月14日、総統在任中の2013年当時国民党内で対立関係にあった王金平立法院長の失脚を狙い、柯建銘(中国語版)との電話を盗聴して検事総長から報告を受けた捜査情報を漏らしたとして、通信保障監察法違反(秘密漏洩)などの疑いで在宅起訴された[27]。同年8月25日の地裁判決では総統の権限の範囲内だとして無罪判決となったが[28]、翌2018年5月15日、高裁にあたる台湾高等法院は「職権を乱用した」などとして一審無罪判決を破棄し懲役4カ月の有罪を言い渡した[29]。最高裁にあたる最高法院は高裁に差し戻しの判断を下し、2019年7月12日、台湾高等法院は有罪判決を破棄し無罪が確定した[30]

2018年7月10日には国民党主席時代に党営のテレビ局などを不当に安い価格で売却し約270億円の損害を党に与えたとして特別背任などの罪で在宅起訴された[31]
政策・主張

1990年代前半、総統選挙を直接選挙にするか委任選出にするかで国民党内で議論となったとき、一貫して「委任選出制」を主張、直接選挙制に反対し、民主化前の国民党独裁政権が言論・思想の自由を弾圧する法的根拠になっていた「刑法第100条廃止」が議論された際にも反対し、2006年末にはアメリカの雑誌のインタビューで「終極的統一を目指す」と発言するなど保守派の人物と見られてきた。

馬は二・二八事件の犠牲者との「和解」をアピールする一方、二・二八事件に関与した?介石の再評価も進めており、陳水扁前総統は「?介石は台湾人を弾圧した独裁者」と批判し、?介石をたたえた「中正記念堂」の名称を変更したが、馬は政権交代後すぐに元に戻すことを決めており、二・二八事件の犠牲者遺族から不信感を抱かれている。
対中政策

自身の出生地でもある香港を3度訪問しており、香港行政長官董建華香港礼賓府に馬を招いた。董長官は、返還前に海外へ移住した香港人が戻って来ていること、外資系企業の投資も増えていることなどを理由に挙げて「一国二制度は成功している」と説明し、友好的な態度をアピールした。4日間の滞在中、容姿端麗な馬がホテル周辺を早朝ジョギングする姿が話題となり、「香港にも市民の選んだ市長を」とあこがれる傾向も見られた。ところが、2005年1月には入境を拒否された。馬は香港大学での講演を要請されて香港訪問を申請したものの、特区政府はビザを発給しなかった。当時、全国人民代表大会の開幕を目前に中央政府は「反分裂国家法」の制定準備を進めていた。この法律には台湾独立を封じる狙いがあり、馬がこれに反対する論説を発表したため、中央政府の不評を買って香港入境を差し止められたと推測されたが、このとき特区政府は子細を明らかにせず、あいまいな態度が非難を浴びた。

総統選挙では「三不」(台中統一・台湾独立・武力行使のいずれも行わない)をスローガンに掲げていた。しかし、総統に就任した後には「統一という選択肢を排除するものではない」と発言した事もある[32]

総統選挙中の2008年3月18日チベットで発生した大規模暴動について中国当局を批判し、自らが総統に当選した際には北京オリンピックをボイコットする可能性を示唆した。また党綱領から「統一」の文字を削除して「台湾」の文字を新しく盛り込み[33]、党規約に「台湾主体」を明記している[34]。一方で、2008年5月に訪中して中台与党党首会談も行った当時の国民党主席呉伯雄北京オリンピックの開会式への出席を認め、チベットダライ・ラマ14世が台湾訪問の意向を示したところ拒否するなど、中国への一定の配慮は維持している。更に総統選挙に向けて懸案事項である経済問題の重視を打ち出し、経済上重要な存在である中国との間に欧州連合(EU)加盟国同士並みに関税、資金、労働力の自由流通を目指す「両岸共同市場」を提唱した。

総統就任後の2008年12月15日には、中国との間で「三通」を実現させた。学生には奨学金の返還を求めない措置を講ずると言い、旅行業者には三通(中台間の通信、通商、通航の直接開放)で空と海の直行便を定期化し、年間360万の中国人観光客を呼び込んで商売を繁盛させると呼びかけた。同年12月23日には中国からジャイアントパンダの團團(オス)と圓圓(メス)が台北市立動物園に寄贈された[35]

2010年には中華人民共和国と事実上の自由貿易協定である両岸経済協力枠組協議(ECFA)を締結し、1970年大阪日本万国博覧会以来40年ぶりに参加した万博である上海国際博覧会に台湾は出展した。

2012年には国民党中央委員会に中国共産党第18回全国代表大会へ初めて祝電を打たせ[36]習近平総書記中国最高指導者の役職)に選出された際は馬自ら異例の祝電をおくった[37]。「ひまわり学生運動」および「海峡両岸サービス貿易協定」も参照馬英九と習近平(2015年11月7日)

2014年3月18日、海峡両岸サービス貿易協定に反対する大学生が立法院を占拠する事件『ひまわり学生運動』が発生。300人ほどの学生が立法院の議場を占拠し、立法院の周りにも数千人から数万人の支持者が集まった[38][39]。大学生たちは協定の審議やり直しと馬英九との公開討論を求めているが、馬英九政権は応じていない[40]

2015年11月7日午後3時過ぎ(現地時間)[41]シンガポールシャングリ・ラ・ホテル・シンガポールで馬は中国共産党の習近平総書記と史上初の中台首脳会談を行った。中華民国と中華人民共和国はお互いに自らが中国で唯一の合法政府だとの立場を取るため、「両岸の指導者」同士として会談を行った。馬と習は「総書記」、「国家主席」と「総統」の肩書を使わず、日本語で「さん」を意味する「先生」(xian sheng)と呼び合った。首脳会談では、中国と台湾が不可分の領土であるという「一つの中国」の原則を確認し、交流を拡大することなどで一致した。[42][43] 台湾海峡情勢を安定させるため、当局間のホットラインを開設することも合意した[44]。一方、同日、総統府前では中台首脳会談に抗議する市民のデモが行われた[45]

2016年3月、民進党の政権復帰が決まったことを受けて中華人民共和国はそれまで見送ってきたガンビアとの国交を樹立した[46]。民進党の陳水扁前政権に対しては6カ国も台湾と国交断絶させたのに対して国民党政権になると中華人民共和国は馬の掲げる外交休兵(中国語版)に配慮して中華民国と断交する国はそれまでなかった[47]
対日政策馬英九と野田佳彦(2015年5月1日)

学生時代に「釣魚島(尖閣諸島)還回」を主張する活動を続け、アメリカ留学時代の研究テーマも「釣魚島」の中華民国帰属を扱うなど、領土問題に関しては、非常に日本に対し批判的である。

2005年6月の党主席選挙では、「釣魚島の奪回のために、日本とは一戦を交えることもいとわない」「戦う姿勢を見せて日本を対話のテーブルにつかせるべきだ」(2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動 参照)と主張した。

党主席就任後の2005年8月には、「南京大虐殺や尖閣諸島での日本の言動は、大陸・台湾双方の人々の心を逆なでする」「国民党は将来、尖閣諸島の問題解決に注力する。私は尖閣諸島についての専門的知識を持っている」 と発言した[48]

2008年11月に、尖閣諸島の領有権を主張する団体「中華保釣協会」が設立された際、祝辞を寄せている[49]

また、2012年8月15日に発生した香港活動家尖閣諸島上陸事件の逮捕者とも、過去には交流があることが活動家側が認めている[50][51]

日本による台湾統治にも厳しい評価を下しており、2005年9月高金素梅立法委員が「日本が台湾原住民を強制的に高砂義勇隊に参加させるなど原住民を迫害した」として、ニューヨーク市国際連合本部での反日抗議活動のため、台湾を出発する際、見送りに訪れ3000米ドル寄付を行った[52]


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