馬英九
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6月23日の党大会で正式に国民党の総統候補として公認され、副総統候補には当初王金平を指名したが政治路線が折り合わず、最終的に蕭万長元行政院長を指名している。2008年1月12日、総統選挙の前哨戦とされる第七回中華民国立法委員選挙では、二審で無罪を勝ち取った馬率いる国民党が経済政策の失敗を問われた民進党に圧勝し、単独過半数を確保した。

総統選挙では、民進党の謝長廷陣営は1977年に取得したグリーンカードの所持、一族による政治献疑惑、黒社会との関係などを主張するネガティブキャンペーンを展開した。対する馬陣営は「ロングステイ」と銘打って台湾各地の農村地帯を訪れて回り、外省人ながら台湾語による会話を行ったり、客家として客家語による演説を行うなど有権者と直接触れ合う機会を増やす事で対応した。

同年3月22日に総統選挙が実施され、謝長廷の544万5239票(41.55%)に対して765万8724票(58.45%)を獲得して当選が決定した。これは当時史上最多の得票数だった[6][7]。2008年5月20日、第12代中華民国総統に就任、これにより中華民国史上初めて野党となっていた国民党は8年ぶりに政権を奪還した。中国側は当選を歓迎しつつも、短距離ミサイルの増設など硬軟織り交ぜた姿勢を示した[8]
中台関係の改善2008年、COMPUTEX TAIPEI開会式にて

総統となった事で中台関係の雪解けが期待され、台湾国内でも毛沢東のペーパーウエートが発売され[9]、中国国内でも同年に制作された国策映画の建国大業?介石の愛国的一面が描かれたことに?介石の孫で当時国民党副主席の?孝厳が「客観的な歴史評価」と称賛[10] して国民党本部で毛沢東の孫と面会[11] するなど中台の友好ムードが高まっていった。

中台関係の停滞と世界金融危機で低迷していた景気の回復などを期待して、当選直後に台湾ドルが10年ぶり高値を付けた[12]。本人も政権発足後から直ちに中台関係の改善と経済政策の重点化を掲げて、前政権時代に制限されていた台湾企業の中国進出を緩和する意向なども示した[13]2009年7月26日に行われた国民党の主席選挙にて28万5354票(得票率93.8%)を得て当選し、同年10月17日に正式に第6代主席に就任した[14][15]台湾経済の回復を進め、政権初期の高支持率に繋がった。
台風被害と支持率の低下詳細は「平成21年台風第8号」を参照

2009年8月、台風8号が台湾を直撃するという過去最悪の台風による災害が起き、500名以上の死傷者が発生する事態となった。この際に政府の被災地での救援活動が遅れ、台湾国民からの厳しい批判にさらされた[16]。救援活動の不手際を認め、総統職の退任は否定したが、責任問題の追及には同意した[16]。被災者が避難生活を送る寺院を訪れた際には、被災者の一人が「総統と劉兆玄(行政院長)は今すぐ辞任すべきだ」と叫ぶと、会場から大きな拍手が沸いた[17]

2009年12月に行われた台湾の統一地方選挙では、災害への対応の悪さに有権者の不信感が広がったこともあり、国民党は県長ポストを現有の14ポスト(国民党系無所属も含む)から二つ減らす結果に終わった[18]。翌2010年1月に行われた立法委員補欠選挙でも国民党が改選3選挙区の議席をすべて失う結果に終わった。前述の災害への対応の悪さに加え、課題として掲げていた経済成長も米国産牛肉の輸入解禁を合意した事などが批判された[19]。2月27日投開票の立法委員補欠選挙でも改選4議席のうち国民党は花蓮県(全区)の1議席しか獲得できず、対する民進党は強固な地盤である嘉義県(2区)、新竹県(全区)、桃園県(3区)を獲得し、逆風が収まらない状況が続いた[20][21]
体制の立て直し

2010年以降は政権の立て直しを図り、引き続き中国との関係改善と経済成長を目指した政策を進め、2010年に台湾経済は10%強の成長率を記録、欧州債務危機で世界経済が混乱した2011年にも4%の成長率を達成した。また中台関係の改善を基調としながらも、「三不」(台中統一・台湾独立・武力行使のいずれも行わない)をスローガンにバランスを取った姿勢を見せ、親中反中のいずれにも立たない中立派の支持を勝ち取った。堅調な経済・外交政策で一定の支持を回復させ、2010年11月に行われた直轄市(台北市、新北市台中市台南市高雄市)の市長選挙では、依然として民進党に押されつつも台北市・新北市・台中市の三都市で勝利して現有勢力を維持した[22]
二期目2012年総統選時の馬陣営の集会(2012年1月7日)詳細は「2012年中華民国総統選挙」を参照

2012年、一期目の総統任期終了を踏まえて、同年の総統選挙に再選を目指して出馬する意向を表明した。同年から経済成長が鈍化していた事や、国民党から分派した親民党から出馬した宋楚瑜に票が流れる可能性などから、総統選挙では民進党の蔡英文と終盤まで激しい選挙戦を繰り広げた。結果として懸念されていた宋楚瑜が惨敗を喫した事などから旧来の支持勢力を纏め上げ、51.60%を得票して総統に再選された[23][24][25]。同日に第八回中華民国立法委員選挙も行われ、僅かに議席を減らしたものの過半数を維持してこちらも国民党が勝利を収めた。再選後の内閣では民進党を離党した楊秋興が政権入りしている。

2012年5月20日、第13代中華民国総統に就任(2期目)[26] し、任期満了となる2016年5月20日に退任した。


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