馬英九
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また党綱領から「統一」の文字を削除して「台湾」の文字を新しく盛り込み[33]、党規約に「台湾主体」を明記している[34]。一方で、2008年5月に訪中して中台与党党首会談も行った当時の国民党主席呉伯雄北京オリンピックの開会式への出席を認め、チベットダライ・ラマ14世が台湾訪問の意向を示したところ拒否するなど、中国への一定の配慮は維持している。更に総統選挙に向けて懸案事項である経済問題の重視を打ち出し、経済上重要な存在である中国との間に欧州連合(EU)加盟国同士並みに関税、資金、労働力の自由流通を目指す「両岸共同市場」を提唱した。

総統就任後の2008年12月15日には、中国との間で「三通」を実現させた。学生には奨学金の返還を求めない措置を講ずると言い、旅行業者には三通(中台間の通信、通商、通航の直接開放)で空と海の直行便を定期化し、年間360万の中国人観光客を呼び込んで商売を繁盛させると呼びかけた。同年12月23日には中国からジャイアントパンダの團團(オス)と圓圓(メス)が台北市立動物園に寄贈された[35]

2010年には中華人民共和国と事実上の自由貿易協定である両岸経済協力枠組協議(ECFA)を締結し、1970年大阪日本万国博覧会以来40年ぶりに参加した万博である上海国際博覧会に台湾は出展した。

2012年には国民党中央委員会に中国共産党第18回全国代表大会へ初めて祝電を打たせ[36]習近平総書記中国最高指導者の役職)に選出された際は馬自ら異例の祝電をおくった[37]。「ひまわり学生運動」および「海峡両岸サービス貿易協定」も参照馬英九と習近平(2015年11月7日)

2014年3月18日、海峡両岸サービス貿易協定に反対する大学生が立法院を占拠する事件『ひまわり学生運動』が発生。300人ほどの学生が立法院の議場を占拠し、立法院の周りにも数千人から数万人の支持者が集まった[38][39]。大学生たちは協定の審議やり直しと馬英九との公開討論を求めているが、馬英九政権は応じていない[40]

2015年11月7日午後3時過ぎ(現地時間)[41]シンガポールシャングリ・ラ・ホテル・シンガポールで馬は中国共産党の習近平総書記と史上初の中台首脳会談を行った。中華民国と中華人民共和国はお互いに自らが中国で唯一の合法政府だとの立場を取るため、「両岸の指導者」同士として会談を行った。馬と習は「総書記」、「国家主席」と「総統」の肩書を使わず、日本語で「さん」を意味する「先生」(xian sheng)と呼び合った。首脳会談では、中国と台湾が不可分の領土であるという「一つの中国」の原則を確認し、交流を拡大することなどで一致した。[42][43] 台湾海峡情勢を安定させるため、当局間のホットラインを開設することも合意した[44]。一方、同日、総統府前では中台首脳会談に抗議する市民のデモが行われた[45]

2016年3月、民進党の政権復帰が決まったことを受けて中華人民共和国はそれまで見送ってきたガンビアとの国交を樹立した[46]。民進党の陳水扁前政権に対しては6カ国も台湾と国交断絶させたのに対して国民党政権になると中華人民共和国は馬の掲げる外交休兵(中国語版)に配慮して中華民国と断交する国はそれまでなかった[47]
対日政策馬英九と野田佳彦(2015年5月1日)

学生時代に「釣魚島(尖閣諸島)還回」を主張する活動を続け、アメリカ留学時代の研究テーマも「釣魚島」の中華民国帰属を扱うなど、領土問題に関しては、非常に日本に対し批判的である。

2005年6月の党主席選挙では、「釣魚島の奪回のために、日本とは一戦を交えることもいとわない」「戦う姿勢を見せて日本を対話のテーブルにつかせるべきだ」(2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動 参照)と主張した。

党主席就任後の2005年8月には、「南京大虐殺や尖閣諸島での日本の言動は、大陸・台湾双方の人々の心を逆なでする」「国民党は将来、尖閣諸島の問題解決に注力する。私は尖閣諸島についての専門的知識を持っている」 と発言した[48]

2008年11月に、尖閣諸島の領有権を主張する団体「中華保釣協会」が設立された際、祝辞を寄せている[49]

また、2012年8月15日に発生した香港活動家尖閣諸島上陸事件の逮捕者とも、過去には交流があることが活動家側が認めている[50][51]

日本による台湾統治にも厳しい評価を下しており、2005年9月高金素梅立法委員が「日本が台湾原住民を強制的に高砂義勇隊に参加させるなど原住民を迫害した」として、ニューヨーク市国際連合本部での反日抗議活動のため、台湾を出発する際、見送りに訪れ3000米ドル寄付を行った[52]

2005年9月3日に、中国胡錦涛党総書記が「日本が台湾を侵略占拠していた50年間、台湾同胞は絶えず反抗し、65万人が犠牲となった」と演説をした直後の2005年10月、台北二二八記念館にて「日本の台湾統治50年間で、計65万人余りの台湾人が殺害された」と演説した。

2006年4月、士林にある「学務官僚遭難之碑」を問題視した。同年秋には中国国民党本部ビルに「抗日戦争勝利60周年記念」の垂れ幕を掲げた。この一連の姿勢は、2006年7月の訪日時に日本側の議員や記者の注目を集めた。

また、治安面に関しても2002年1月、台北市などの風俗街スポットを紹介したガイドブック『極楽台湾』(司書房)に対して抗議を行い、買春目的容疑の日本人を逮捕するなど、売春の需要側として警戒している[53]。「台日特別パートナーシップ」も参照

一方で総統候補になってからは、従来の対日姿勢を軟化させつつある。台湾では、繋がりが深い日本を敵視するかのような言動が見られる馬の反日姿勢が批判されることもあり、総統選挙では「自分は知日派だ」と懸命にアピールする姿が見られた[54]南京大虐殺問題・尖閣諸島問題などの歴史認識については「許せるが、歴史は忘れない」など間接的な表現に留めている。

さらに、総統候補として日本を訪問した2007年11月21日同志社大学での講演では「19世紀20世紀亡霊はもう過去のことだ」「過去は白と黒以外にグレーもある」などと述べるなど、日台関係を強化する必要を強調した。2006年には、一度否定的な意見を述べた『日米安保条約』も支持するなど、歩み寄りの姿勢を示している[55]。それでも、日本の政界やマスコミにはその真意を疑う声は根強く「反日派」疑惑の払拭に至っていない[56][57]

そのほか、慰安婦問題についても「日本は謝罪すべき」との発言を繰り返している。2000年から始まった、台湾の元慰安婦による対日訴訟運動や台湾婦女救援基金会にも積極的に関わっており、2008年には元慰安婦8人と会談した[58]2010年12月26日には台北市文化局と台湾婦女救援基金会が主催した、従軍慰安婦対日訴訟に関する特別展でも「日本政府は歴史の過ちに対して 謝罪する責任を持つ」と発言している[58]


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