1987年(昭和62年)には映画「私をスキーに連れてって」を、映画初監督作品として製作するとともに、日立製作所を退社した[4]。同作品、さらに後年製作された映画「彼女が水着にきがえたら」(1989年)、「波の数だけ抱きしめて」(1991年)はいずれも日本において商業的に成功。馬場が率いるホイチョイ・プロダクションズは若者のライフスタイルにおけるイメージリーダーとなった[6]。
その後も多くの書籍、テレビ番組、映画等の製作に携わり現在に至っている。
著作の大部分は馬場の個人名義ではなく、「ホイチョイ・プロダクションズ製作」として発表されている。 [個人名義] [ホイチョイ・プロダクションズ名義] 公式サイト 公式動画配信アカウント
作品
映画
自主制作
「天皇陛下の007」(1971年)※8ミリ/30分
「007/奴らは死ぬのだ」(1972年)※8ミリ/60分
「007/ドクターシン」(1974年)※8ミリ/60分
「ロンググッドバイ」(1975年)※8ミリ/60分
「イパネマの娘」(1981年)※16ミリ/90分
一般劇場映画
私をスキーに連れてって(1987年)
彼女が水着にきがえたら(1989年)
波の数だけ抱きしめて(1991年)
メッセンジャー(1999年)
バブルへGO!! タイムマシンはドラム式(2007年)
テレビドラマ
潜水艦カッペリーニ号の冒険(2022年1月3日、フジテレビ)[7]
ミュージックビデオ
AKB48「翼はいらない」(2016年)
書籍
『見栄講座 ―ミーハーのための戦略と展開―』(1983年)
『気まぐれコンセプト』(1984年)
『OTV』(1985年)
『極楽スキー』(1987年)
『東京いい店やれる店』(1994年)
『エンタメの夜明け』(2007年)
『気まぐれコンセプト・クロニクル』(2007年)
『ディズニーランドが日本に来た! 「エンタメ」の夜明け』(2013年)
『新装版「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』(2015年)
『この1本! ?超人気映画シリーズ、ひとつだけ見るならコレ?』(2022年)
『彼女が水着にきがえたら』 (1994年)
『ラム・ニャンものがたり』 (2000年)
『しろねこラム・ニャンおたのしみ。』(2004年)
『マンガでわかる株式投資! 女子高生株塾』 (2009年)
『株、FX、世界経済がマンガでわかる!新女子高生株塾』(2011年)
『新・東京いい店やれる店』(2012年)
『戦略おべっか どんな人でも、必ず成功する』(2012年)
『年金ロックンローラー内沢裕吉』(2013年)
『電通マン36人に教わった36通りの「鬼」気くばり』(2016年)
『気まぐれコンセプト 完全版』(2016年)
『ホイチョイの リア充王 遊びの千夜一夜物語』(2018年)
『不倫の流儀 オッサンがモテるための48の秘訣』
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 登記上の会社設立年月は、1984年2月(同社ウェブサイトによる)
出典^ “成蹊学園の一貫教育の取り組み『成蹊オープン・ゼミ』として、学園卒業生の映画監督・著述家の馬場康夫氏による講演会が行われました|イベント情報|成蹊学園史料館
^ 東京人増刊 成蹊学園と吉祥寺の100年 2012年 06月号 「懐かしの吉祥寺再訪(馬場康夫x安倍晋三 対談)」
^ ホイチョイ・プロダクションズ 馬場康夫 ロングインタビュー 第3回 『波の数だけ抱きしめて』の最初の脚本では別所くんの役が主人公だったんです。 - otocoto
^ a b c d ⇒馬場康夫プロフィール 馬場康夫監督インタビュー 『Cinema Topics Online』(2007年8月17日) 2010年2月18日閲覧
^ 馬場康夫プロフィール バブル時代、あのとき僕は 『マイコミジャーナル』(2007年8月24日) 2010年2月18日閲覧
^ ⇒Director: Yasuo Baba International licensing "Messengers", Pony Canyon Inc.(1999), Retrieved on Feb-18-2010
^ “二宮和也と有村架純が兄妹役で共演「潜水艦カッペリーニ号の冒険」新春に放送”. 映画ナタリー. 株式会社ナターシャ (2021年11月17日). 2020年11月17日閲覧。
関連項目
フジテレビジョン
サントリー・サタデー・ウェイティング・バー
バブル景気
ピートのふしぎなガレージ
SOCIEDAD GASTRONOMICA
外部リンク
⇒ホイチョイ・プロダクションズ 公式ウェブサイト
ホイチョイ的映画生活?この一本?
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