香港
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1935年:銀本位制廃止、幣制改革[32][33]
1941年:太平洋戦争勃発。日本軍がイギリス軍を放逐し占領した。酒井隆陸軍中将が香港軍政庁長官に就任。
1942年:磯谷廉介陸軍中将が香港総督に就任。
1945年:日本の連合国軍に対する敗戦によりイギリスの植民地に復帰。
1950年:イギリスが中華人民共和国を承認。中華民国との国交も継続する。
1967年:文化大革命の影響を受けた中国共産党系住民による暴動が発生。
1969年:12月2日、貧民街(出典ママ)で火災が発生。バラック280戸を焼き尽くし5700人が被災する大火となった[34]。
1971年:台風により被害。死者125人。
1972年:6月の集中豪雨により土砂災害が多数発生。200人以上が生き埋めとなった[35]。
1974年:法定語文条例により「中文」が英語と並ぶ公用語の地位を得る。
1983年:アメリカ合衆国ドルとのペッグ制(US$1≒HK$7.8)を開始。
1984年:イギリスのマーガレット・サッチャー首相と、中華人民共和国の趙紫陽総理が香港返還を定めた「英中共同声明」に署名。
1990年:香港特別行政区基本法制定。
1992年:最後の香港総督であるクリストファー・パッテンが就任。
1995年:イギリス統治下で最後の立法局選挙。初めて全議員を選挙で選出。
1997年:7月1日、イギリスから中華人民共和国への返還および譲渡。香港特別行政区政府が発足。初代香港特別行政区行政長官に董建華が就任、2002年再選。従来の立法局議員の資格が停止され、臨時立法会が取って代わる。香港基本法により50年間一国二制度が維持されることになっている。
1997年:アジア通貨危機。
1998年:立法会選挙(第1期は任期2年、以降4年)。
1998年:香港国際空港が開港。啓徳空港が閉鎖。
2005年:香港ドルに目標相場圏制度を導入。
2005年:曽蔭権が行政長官に就任。董建華の残した任期が満了する2007年に再選。
2007年:人民元の対米ドルレートが香港ドルのものを上回り、両通貨の価値が逆転。
2012年:梁振英が行政長官に就任、1期5年のみ務める。
2014年:2014年香港反政府デモ。
2017年:林鄭月娥が行政長官に就任、1期5年のみ務める。
2019年:中国本土、マカオ、台湾への犯罪者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例改正案」の撤回を求めるデモが発生。騒乱により死傷者も発生した。改正案が撤廃されてからも、市民が民主化などを求めデモが続いた。2019年-2020年香港民主化デモを参照。
2020年:7月1日、香港国家安全維持法を施行。
2022年:李家超が行政長官に就任[36]。
2024年:香港特別行政区基本法第23条、第3読会で可決。
地理詳細は「香港の地理」を参照香港の地図香港は、香港島、九龍半島、新界および周囲に浮かぶ263余の島を含む。面積は東京23区の約2倍、沖縄本島や札幌市と同程度に当たる。
ランタオ島(大嶼山)は香港島の2倍の面積を有する香港最大の島であり香港国際空港の空港島が隣接している。2005年9月には島内にディズニーランドが開園した。
香港の地形は山地が全体に広がり、香港全土の約60%、約650平方キロメートルを占める[37]。最高標高は958メートルの大帽山である。中国本土との境界地域に広がる元朗平原を除き平地は少ない。元朗平原付近の海岸部には湿原が広がる。また、沿海の一部地域に柱状節理や堆積岩が分布しているため、ユネスコ世界ジオパークにも指定されている[38]。
気候温帯夏雨気候(熱帯モンスーン気候 - 温暖湿潤気候移行部型)に属し、秋・冬は温暖で乾燥しており、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧の影響で高温湿潤という気候である。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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