香港
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注音符号??? ???????????????????
呉語
ローマ字shian平kaon上 deh入bih入 ghan平tsen去chiu平
客家語
客家語?音Hiong1gong3 Tet6piet6 hang2zin4ki1
粤語
イェール粤?H?unggong Dahkbiht Hahngjingk?ui
粤?Hoeng1gong2 Dak6bit6 Hang4zing3keoi1
?南語
?南語白話字Hiong-kang Te?k-pia?t Heng-cheng-khu

香港(ホンコン[注 2]中国語: 香港; イェール式広東語: H?unggong; ?音: Xi?ngg?ng、英語: Hong Kong)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区である。正式名称は中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくホンコンとくべつぎょうせいく)。

同じ特別行政区でポルトガルの植民地であったマカオは南西に70km離れている[4]東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、途中日本による占領を挟むも、150年以上にわたってイギリスの植民地であったことで世界に知られている。

1,104 km2 (426 sq mi)の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である[5]。広大なスカイラインと天然の深い港湾を抱える自由貿易地域であり、アジア四小龍の内の1地域。2016年の「中期人口統計」によると、香港の人口は、92%が華人、8%はその他の民族である[6]

香港は東京ロンドンニューヨークシンガポール上海と並ぶ世界都市の一つであり、世界的に重要な国際金融センターに格付けされ、低税率および自由貿易を特徴とする重要な資本サービス経済を有し、通貨香港ドル世界第8位の取引高を有する[7]

香港は世界有数の1人当たりの所得を有するが、先進経済諸国有数の所得格差もまた存在する[8]。スペースの不足により高密度な建造物の需要が生じ、現代建築および世界で最も垂直な都市の中心へと都市は開発された[8]。高密度な空間は高度に発達した交通網ももたらし、公共交通機関の利用率は90%を超え、世界第1位である。香港はさまざまな側面、例えば、経済的自由並びに金融および経済的競争力において多数の高い国際ランキングを有する[9]人間開発指数は全面的に高く順位付けされ、知能指数は世界で最も高い地域にもなっている[10]。隣接する中国本土からのPM2.5による大気汚染スモッグは香港市民の健康面への影響は懸念されるが[11][12]、香港市民は男女ともに平均寿命で世界一[13][14][注 3]になるなど非常に長寿である。

香港は複数政党制であるものの、立法会の90議席のうち70議席を少数の有権者が支配し、先進経済諸国の中では政治的権利において最下点で欠陥民主主義に分類される[15][16][17]。中国政府は1997年の返還後50年間は香港体制に干渉しないという一国二制度(一国兩制)体制を約束したが、香港では香港の自由と民主主義侵害を懸念するデモが続いている。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
名称ヴィクトリア・ハーバーの風景

香港という名称は珠江デルタ東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。英語や日本語でのホンコンという呼び方は広東語(厳密には蜑民の言葉・zh:蜑家話)によるとされる。標準中国語では、香港を「Xi?ngg?ng」(シアンカン)と発音する。

中国語での別名に香江があり、略称は港。英文での略称はHK。
行政上の正式名称



繁体字:中華人民共和國香港特別行政區( 広東語発音[ヘルプ/ファイル])

簡体字:中?人民共和国香港特?行政区(中国本土における書法)

英語:Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China


歴史詳細は「香港の歴史」を参照1937年撮影の香港1959年制定の紋章1959年から1997年の香港返還まで公式に掲揚された香港の旗。返還後は抗議デモなどで掲げられることがある。

香港の広東語話者の大多数は主に隣接する広東省が起源であり[18]、1930年代から1960年代に中国での戦争や共産主義体制からイギリス植民地であった香港に逃れて来た人々である[19][20][21][22]1839年から1842年アヘン戦争後、香港は大英帝国の植民地として設立された。香港島が最初にイギリスに永久割譲され、1860年九龍半島割譲、1898年には新界租借された。

太平天国の乱(1851年?1864年)、義和団事件(1900年?1901年)、辛亥革命(1911年?1912年)、日中戦争(1937年?1945年)などが原因で、香港には難民が続々となだれ込んだ。植民地人口の約半分が香港島に住み、残りは九龍半島または舟に居住した。島の方は岩肌に水が浸透しないため、設備なしには真水の供給が難しかった。1885年、香港で利用可能な水は1人1日あたり18リットルであった。1918年になると設置できる土地は貯水池とそこまでの水路でほぼ埋まり、島表面積の3分の1にもなった。それでも人口増加による水需要の増加には追いつかなかった。新界も状況は似て、1936年に大規模なジュビリー・ダムを完工したにもかかわらず、1939年の時点で24時間給水は雨季にしかできなくなっていた。当時香港全体で1人1日あたりの水消費量は75リットルと推定されている[23]第二次世界大戦 (1941年?1945年) 中、日本軍イギリス軍・香港義勇軍の間で香港の戦いが勃発したが、まもなくして前者が勝利し日本の占領が1945年8月まで続いた。戦前から現在まで、香港は慢性的な水不足に悩まされている[24]。問題が激化した1960年代には中華人民共和国から水の輸入を増やしてパイプライン(東深供水プロジェクト(中国語版))も築かれた[25]。水不足問題は後に、租借していた新界のほか割譲されていた香港島・九龍も含めた香港全領域を返還せざるを得ない状況にイギリスを追い込むことになる。

戦後は中華民国に返還されずにイギリス統治が再開され、1997年まで続いた。一方、植民地時代の積極的不介入方針は現在の香港の文化および教育制度の形成に大きく影響した。


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