香港
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繁体字:中華人民共和國香港特別行政區( 広東語発音[ヘルプ/ファイル])

簡体字:中?人民共和国香港特?行政区(中国本土における書法)

英語:Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China


歴史詳細は「香港の歴史」を参照1937年撮影の香港1959年制定の紋章1959年から1997年の香港返還まで公式に掲揚された香港の旗。返還後は抗議デモなどで掲げられることがある。

香港の広東語話者の大多数は主に隣接する広東省が起源であり[18]、1930年代から1960年代に中国での戦争や共産主義体制からイギリス植民地であった香港に逃れて来た人々である[19][20][21][22]1839年から1842年アヘン戦争後、香港は大英帝国の植民地として設立された。香港島が最初にイギリスに永久割譲され、1860年九龍半島割譲、1898年には新界租借された。

太平天国の乱(1851年?1864年)、義和団事件(1900年?1901年)、辛亥革命(1911年?1912年)、日中戦争(1937年?1945年)などが原因で、香港には難民が続々となだれ込んだ。植民地人口の約半分が香港島に住み、残りは九龍半島または舟に居住した。島の方は岩肌に水が浸透しないため、設備なしには真水の供給が難しかった。1885年、香港で利用可能な水は1人1日あたり18リットルであった。1918年になると設置できる土地は貯水池とそこまでの水路でほぼ埋まり、島表面積の3分の1にもなった。それでも人口増加による水需要の増加には追いつかなかった。新界も状況は似て、1936年に大規模なジュビリー・ダムを完工したにもかかわらず、1939年の時点で24時間給水は雨季にしかできなくなっていた。当時香港全体で1人1日あたりの水消費量は75リットルと推定されている[23]第二次世界大戦 (1941年?1945年) 中、日本軍イギリス軍・香港義勇軍の間で香港の戦いが勃発したが、まもなくして前者が勝利し日本の占領が1945年8月まで続いた。戦前から現在まで、香港は慢性的な水不足に悩まされている[24]。問題が激化した1960年代には中華人民共和国から水の輸入を増やしてパイプライン(東深供水プロジェクト(中国語版))も築かれた[25]。水不足問題は後に、租借していた新界のほか割譲されていた香港島・九龍も含めた香港全領域を返還せざるを得ない状況にイギリスを追い込むことになる。

戦後は中華民国に返還されずにイギリス統治が再開され、1997年まで続いた。一方、植民地時代の積極的不介入方針は現在の香港の文化および教育制度の形成に大きく影響した。なお、香港の教育制度はおおむねイギリス式であったが、その後2009年に制度改革が実施された。1989年に北京で六四天安門事件が発生すると、香港では再び移民ブームが巻き起こった。大部分の香港からの移民はイギリス連邦の構成国であるカナダトロントバンクーバーオーストラリアシドニーメルボルンシンガポールに向かった。イギリスは中華民国ではなく中華人民共和国をその返還・移譲交渉相手に選び、中華人民共和国間との交渉と英中共同声明の結果として、香港はイギリスから中華人民共和国に返還および譲渡された。一国二制度の原理の下、1997年7月1日に最初の特別行政区になった。1999年12月にポルトガルから移譲されたマカオも特別行政区である。

現在も香港は中華人民共和国とは異なる法制度・政治制度を有する。香港の独立した司法機関はコモン・ローの枠組みに従って機能する[26][27]英中共同声明において正式に記された条項に基づいた返還以前に、中華人民共和国側により起草された定款である香港特別行政区基本法において香港の政治は行われ[28]、国際関係および軍事防御以外の全ての事柄において高度な自治権を有することを規定している[29]。なおこの自治権は中国中央指導部の委任・承認に基づき地方を運営する権限であり、完全な自治権、地方分権的なものではないとされる(2014年6月10日中国国務院白書)。
略歴



前214年:中原王朝の支配下に入り、
番禺県の管轄とされる。

331年:宝安県の管轄とされる。

757年:東莞県の管轄とされる。

1573年:新安県の管轄とされる。

1839年:清朝とイギリスの間でアヘン戦争が勃発。

1842年:南京条約で、香港島を清朝からイギリスに永久割譲。

1843年:サー・ヘンリー・ポッティンジャーが初代香港総督に就任。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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