和銅2年(709年)に山頂の三社を現在地に移設したのが、現在の香春神社。古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社だった。辛国息長大姫大目神社と忍骨神社に正一位の神階が与えられたのは、承和10年(843年)で、これは奈良の大神神社(859年)、石上神宮(868年)、大和神社(897年)が正一位になった年よりはるかに早い。
平安時代初期における香春神社の社格は非常に高く、現在豊前国の一宮は、一般的に宇佐神宮とされているが、古い資料の中には香春神社を一宮と記しているものもある。[2]
宮司は代々、赤染氏、鶴賀氏が務める。
祭神
辛国息長大姫大目命
忍骨命
豊比売命
日本三代実録は、豊比売命を辛国息長大姫大目命と同一している。 社前には、「第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。 第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ」と書かれている。
『豊前国風土記』逸文には、辛国息長大姫大目命は、昔神羅より渡って来た神であると書かれている[3]。
辛国息長大姫大目命と神功皇后との関連性は古くから議論されている。応神天皇の母で三韓征伐を行い、朝鮮半島支配に成功した神功皇后は、『古事記』において息長帯比売命・大帯比売命と記されている。辛国は三韓征伐を行った韓国に通じる。辛国息長大姫大目命と神功皇后の同一性が指摘されている[4]。 辛国息長大姫大目神社 - 正一位(承和10年) 忍骨神社 - 正一位(承和10年) 豊比盗_社 - 正二位(建仁元年) 三階菱、小倉藩主小笠原氏から拝領したとの説がある
神階
神紋
建造物
本殿 - 神明流造
文化財
神社縁起書三巻
楠正成奉納の鈴及鏃
伝教大師奉納の捻珠
主な行事
5月5日 - 例祭
交通
JR九州日田彦山線香春駅より徒歩15分(1.2km)
九州自動車道小倉南インターチェンジより19q。東九州自動車道行橋インターチェンジより13.5q。
脚注[脚注の使い方]^ 一ノ岳山頂には辛国息長大姫大目神社、二ノ岳山頂には忍骨神社、三ノ岳山頂には豊比盗_社があったとされるが異説もある
^ 三浦譲『全国神社名鑑』全国神社名鑑刊行会
^ 辻善之助『日本仏教史』岩波書店、昭和19-11-30、261頁。
^ 伊藤常足『太宰管内志』歴史図書社
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