一方で、首都であっても国内のほかの主要都市同様、上位の広域自治体の管轄区域内に含まれるケースも少なからず見られる。たとえば、カナダの場合は連邦政府の直轄行政地区が存在せず、同国の首都オタワは行政上オンタリオ州内の一都市としての位置づけである。また、イタリアの首都ローマはローマ県、およびその上位地方行政区画であるラツィオ州の区域にそれぞれ属し、同時にその県都ならびに州都でもある。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 江戸、京都、そして経済商業の中心であった大坂の三都市は当時の日本を代表する大都市であり、三都と通称されていた。
^ 考え方によっては、幕府の外交機関所在地(貿易港・出島のある長崎)も、首都機能のある部分を分担していたと見ることもできる。ただし、外交の決定は江戸で行われ、また、長崎は対ヨーロッパ・中国のみで、幕府以外が管轄する異域との外交機関も他に存在した。蝦夷地・和人地では松前藩がアイヌ人との、薩摩藩の鹿児島では仮屋(在番親方)にて琉球王国との外交があった(国際法上の国に当たらないとして外交と見ないこともある)。なお、在外公館にあたるものに、李氏朝鮮にあった対馬藩の倭館、琉球王国にあった薩摩藩の仮屋(在番奉行)、清国福建にあった琉球王国の柔遠駅がある。
^ タイ王国の現在の首都はバンコクであるが、前国王のラーマ9世の主要な居住地は、プラチュワップキーリーカン県のリゾート地ホアヒンにあるクライカンウォン宮殿であった。ただし、クライカンウォン宮殿はあくまで離宮であり、一般に国王自身の療養のための一時的な滞在と説明されている。また、タイの場合、宮殿、離宮あるいはその他の王室の住居がタイ国内各地に存在する。国王の形式上の住居はバンコクにある王宮であり、国王やその家族が実質的に住居し公務が行われる場所は同じくバンコクのチットラダー宮殿である。そのため、クライカンウォン宮殿への国王の一時滞在という事例は、首都と王宮所在地が必ずしも一致しない例とはなり得ない。
^ かつては、オランダの国王の王宮はユトレヒト郊外、ハーグ、アムステルダムに設置されており、通常の住居としてはユトレヒト郊外の王宮、公的行事にはハーグの王宮、国家の重大行事にはアムステルダムの王宮が使用されていた。その意味では、ユトレヒトもオランダの首都のひとつと考えることができていた。ただし、現在のウィレム=アレクサンダー国王はハーグのハウステンボス宮殿を常住の宮殿とし、同市の中心部にあるノールドアインデ宮殿(オランダ語版、英語版)で公務の執務を行っている。