首都
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また、オランダボリビアタンザニアなどのように、法的に定められている首都と実際に首都機能が置かれている都市が違う場合もある。詳細は「日本の首都」、「東京奠都」、「東京都制」、および「」を参照

なお、日本の首都について直接定める法令は現存しないが、一般的には東京都であると認識されており、東京都が事実上の首都である。

2018年2月には衆議院議員逢坂誠二の質問[4]に対し、「首都を東京都であると直接規定した法令はないが、東京都が日本の首都であることは、広く社会一般に受け入れられているものと考えている」とする日本国政府の公式見解が示された[5]。なお、東京都からは衆議院国会等の移転に関する特別委員会に対して、日本の首都の定義に関する質問を何度か行っている[6]
複都制

首都と呼べる都市を複数持つ国もある。現在日本でも首都が地震や災害などで機能しなくなる事を防ぐ為、首都機能をバックアップする為に近畿圏に副首都を設置・整備する副首都構想がある。
東アジアにおける歴史的な複都制歴史的な複都制については複都制を参照

古代の東アジアでは、中国の長安洛陽太原の三都制(後には鳳翔成都を加えた五都制となる)を採用しており、さらに日本(天武朝など)や渤海などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていたも、実質的には長安が第一首都(正都)であってその他の都は名目上(副都)にとどまっていたが、時には皇帝は長安を離れて洛陽に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。

鎌倉時代後期・江戸時代の日本でも首都機能が分散されており[注 1]、名目上の首都(天皇のいる)と、行政機関所在地(幕府のある鎌倉江戸)とが別々に置かれていた[注 2]

モンゴル帝国(元朝)では、大ハーンは宮廷を引き連れ、中国の最北端にある大都(現北京)と、上都(草原の南端部、万里の長城をはさんで大都と対の位置にある)を季節移動した。

ガンデンポタン時代前期(1642-1732)のチベットでは、歴代のチベット・ハンたちはラサのガンデン・カンサル宮殿とダム草原を季節移動した[7]
近代・現代における複都制
複数の首都がある事例

三権分立の観点から、国家の中枢機能を複数の都市に分割している国がある。

南アフリカ共和国では、国会はケープタウンケープタウン都市圏)、行政府はプレトリアツワネ都市圏)、最高裁判所ブルームフォンテーンマンガウング地方自治体)に所在する。同国の首都は行政機関が置かれているプレトリアであるとするのが通例であるが、厳密にいうと南アフリカ共和国には首都が三つあるということになる。

チリでは、行政府と最高裁判所はサンティアゴ・デ・チレにあり、同市がチリの首都とみなされている。ただし、国会はバルパライソに所在しており(1990年移転)、同市はチリの立法首都だということになる。

ドイツ連邦共和国では、国家元首である連邦大統領の官邸や連邦首相府などの行政府と連邦議会などの立法府はベルリンにあり、憲法にあたるドイツ連邦共和国基本法の第22条(1)では「ドイツ連邦共和国の首都はベルリンである」と規定されている。ただし、最高裁判所にあたる連邦憲法裁判所(Bundesverfassungsgericht) や連邦裁判所(Bundesgerichtshof)はバーデン=ヴュルテンベルク州カールスルーエにある。また、中央銀行であるドイツ連邦銀行ヘッセン州フランクフルト・アム・マインに置かれている。

東西統一以前のドイツ連邦共和国(西ドイツ)は、ボンを暫定首都としていた。東西統一後の首都をボンのままとするかそれともベルリンにするかは大きな議論となったが、結局は伝統的な首都であるベルリンを再度統一ドイツの首都とすることで落ち着いた。しかし、もとの暫定首都であったボンに対する配慮から、1994年に「ベルリン・ボン法(「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律) 」が定められ、ボンは連邦首都(Bundeshauptstadt)(ドイツ語版)であるベルリンと並んで国家の中枢機能を保持する「連邦市 (Bundesstadt)(ドイツ語版)」であると規定された。それにより、ボンには教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、研究技術省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。また、連邦首相府の第二官邸(シャウムブルク宮殿)なども置かれており、事実上、ボンはドイツの副都(第2首都)だということになる。


スイス連邦では、行政府と国会はベルンにあり、同市がスイスの首都とみなされている。ただし、最高裁判所にあたるスイス連邦最高裁判所(ドイツ語版)はローザンヌにある。

時期によって首都を移動させる国もある。

王制時代のリビア1951年 - 1963年はリビア連合王国、1963年 - 1969年リビア王国)では、トリポリベンガジの2つの首都を置いており、国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた。

王国では、王宮所在地と首都が一致しないことがある。

かつてのラオス王国(1945-1975)では、首都はヴィエンチャンであったが、国王はルアンパバーン(ルアンプラバン)に居住しており、後者はラオスの「王都」と呼ばれていた。これも、「複都制」の類型のひとつとみなすことができよう[注 3]

エスワティニ王国では、首都であるムババーネには政府と最高裁判所が存在し、国王の居住する王宮と議会(リバンドラ)はロバンバにある。なお、エスワティニの国王は単なる儀礼的地位ではなく、政治の実権を握っている。

首都と、実権を握る国家元首の常住地が異なっている場合もある。

かつてのアフガニスタン・イスラム首長国ターリバーン政権のアフガニスタン)では、首都はこれまで通りカーブルであったが、国家元首首長/アミール・アル=ムウミニーン)であるムハンマド・オマルはターリバーンの発祥地であるカンダハールを離れることはなく、さらに国家の最高指導機関である最高評議会もカンダハールにおかれており、カーブルの政府機関はカンダハールのオマルの承認なしにはいかなる政策も実行することはできない状態に置かれた。この時期のアフガニスタンでは事実上、カーブルとカンダハールの二つの首都が存在し、しかも前者は後者に従属していたということができる。

名目上の首都と事実上の首都の分離

憲法法律で首都を規定している国家では、憲法や法律で規定された名目上の首都と、国家機関が集中する事実上の首都が異なる例が存在する。

オランダ:憲法上の首都であるアムステルダム[8] と、国家機関所在地であり国家元首である国王(現在はウィレム=アレクサンダー 国王)の常住地(事実上の首都)であるハーグ[注 4]


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