首都高速中央環状線
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大半の区間が荒川かつしかハープ橋 - 小菅JCT間は並行する綾瀬川)の堤防上に建設されており、用地買収の必要がなかった事は早期開通にとって有利であったが、水防を最優先として他目的の利用を極力抑える河川行政との調整は容易でなかったとされる。

堤防上に建設された背の高い高架道路であるため、視界を遮るほどの遮音壁はほとんど設置されていない。道路西側は荒川、東側は高層建築物が少ない市街地が広がっている。密集市街地にネットワークを形成している首都高速では例外的な、きわめて開放的な眺望を得られる区間ではあるが、同時にを中心に強い横風にさらされることもあるため、走行には注意が必要である。

河川の堤防上に収めるため、広い用地を要する4方向のジャンクション(タービン型、クローバー型等)は設置されておらず、全てのジャンクションが中央環状線から分岐するだけの3方向ジャンクションである。このため、6号向島線および6号三郷線は中央環状線と交差するのではなく、小菅・堀切の両JCTで一旦合流してから分岐する構造とされ、両JCT間は内外回りとも4車線となっている。2018年の拡幅までは本路線の内回りと6号向島線下りが堀切JCTで合流した直後に本路線の右側車線が小菅出口となって分岐し、6号三郷線が分岐する小菅JCTまでの区間は1車線減少して3車線となっており、これらは深刻な渋滞の原因になっていた。

川口線は当初、本区間を介してのみ他の首都高速と連絡していた。また上記の通り、6号三郷線と6号向島線を連続して走行する場合、堀切JCT - 小菅JCT間で中央環状線を経由することとなる。このため、都心部と東北自動車道常磐自動車道を行き来する交通が本区間に集中しており、箱崎JCTと併せて首都高速最大の渋滞発生箇所となっている。東京外環自動車道や中央環状新宿線の開通で幾分緩和したが、東京外環自動車道や首都圏中央連絡自動車道3環状道路の整備やジャンクションの改良による抜本的改善が待たれている。

一方、交差する7号小松川線は、長らく中央環状線とのジャンクションは設けられず接続していなかったが、7号小松川線は両国JCTのみで首都高速各路線と連絡しており、同JCT付近を先頭とする渋滞が多発していることから、7号小松川線との交差箇所に、7号小松川線の京葉道路方面と中央環状線の堀切JCT方面を接続する連絡路(小松川JCT)が整備され、2019年12月1日に開通した[6]

また、1号上野線入谷出入口から延伸して中央環状線と接続する計画があり、足立区本木付近(扇大橋出入口 - 千住新橋出入口間)の本線はジャンクションの増設を想定した構造で建設されている。しかし都市計画決定等はされておらず、この接続構造は利用されないままになっている。
板橋JCT - 江北JCT(中央環状王子線)

中央環状王子線は、飛鳥山トンネルを除くほぼ全区間が、内回りを上、外回りを下にした上下2段の高架橋となっており、既存道路幅に収めることで用地買収を最小限にとどめている。

本区間の開通以前は、東北自動車道や常磐自動車道から都心方面へ向かうには6号向島線を経由するか、別料金の東京外環自動車道へ迂回して5号池袋線へ向かうしかなかった。本区間の開通により新たなルートが形成され、6号向島線や箱崎JCT・堀切JCTの渋滞緩和が図られた一方、以前から激しかった5号池袋線の渋滞を、板橋JCTの供用開始で、さらに悪化させることになり、中央環状新宿線の開通に期待を持たせる格好となった。

なお、「中央環状王子線」とは、建設中における路線名である。この区間が開通した現在は「中央環状線」と呼ぶのが正式であるが、中央環状線は前述の通り、大きく4つの区間に分かれるため、他の区間と明確に区別するために、現在でも通称として中央環状王子線と呼ぶ場合がある。
熊野町JCT - 板橋JCT

熊野町JCT - 板橋JCT間は5号池袋線の一部として1977年に開通しており、後述の中央環状新宿線の開通により、5号池袋線と中央環状線が重複する区間となった。

中央環状王子線と同様、上下2段の高架構造となっている。当初、両JCT間は内外回りとも3車線であったが、重複区間であることから渋滞のボトルネックとなっており、緩和策として2018年3月までに内外回りとも4車線化されている。
大橋JCT - 熊野町JCT(中央環状新宿線)山手トンネル(内回り西池袋入口付近)

中央環状新宿線は、3号渋谷線との接続部である大橋JCTから山手通りの地下を通り、4号新宿線との接続部である西新宿JCTを経由して、熊野町JCTに至る路線である。2007年12月22日に北側6.7 km(西新宿JCT - 熊野町JCT間)が開通、2010年3月28日に南側4.3 km(大橋JCT - 西新宿JCT間)が開通した。

中央環状新宿線の開通によって、3号渋谷線、5号池袋線および都心環状線の大幅な混雑解消が期待されている。しかしながら、当区間に続く前述の熊野町JCT - 板橋JCT間が渋滞多発地点であるほか、当区間内にある全ての出入口およびジャンクションが右車線側で接続されている上、地下に本線があるためにこれら全ての出入口およびジャンクションのランプが首都高速の他の路線と比べて非常に急勾配になっているため、走行時は注意が必要である。

なお、導入空間である山手通りの拡幅整備も同時に行われた。

2007年(平成19年)6月には、中央環状新宿線のトンネル部分の名称について首都高速公式ウェブサイトでアンケートが実施され、そのアンケートの結果を元に検討を行い、トンネル名称を「山手(やまて)トンネル」とすることを同年7月13日に公式発表した。詳細は「山手トンネル」を参照
高架から地下構造への変更

当初は、中央環状新宿線は全線を2段式の高架構造(熊野町JCT - 飛鳥山トンネルの区間と同一)で建設する予定であったが、沿道からの反対運動に遭い、地下構造で都市計画決定された。

従来、首都高速は基本的に高架構造で建設されており、トンネル構造は皇居周辺の一部区間や水底トンネルなどに限られていた。しかし、東京湾アクアラインの建設を通じて、長大な道路トンネルをシールド工法で建設する技術が実用化され、中央環状新宿線を地下構造で建設する目処が立った。さらに、飛鳥山トンネルをNATM工法で建設する際に、中央環状新宿線を見据えて経験を積んだ。

中央環状新宿線以後に建設や計画が進んでいる首都高速は、地下構造を採用したものが多くなっており、中央環状新宿線は本格的な地下道路の先駆けとなった。
要町付近の地下化

高松出入口東京メトロ有楽町線副都心線 要町駅は、中央環状線が高架で建設される事を想定した設計ですでに建設されていたため、当初は要町通り前後は高架とし、西武池袋線 椎名町駅手前で地下に降りる案が立案された。

しかし、これも高架区間近隣住民の反対に遭ったため、まず椎名町駅より南の区間のみ先行して都市計画決定を1990年(平成2年)に行い、要町付近は先送りにされた。その後、要町駅の一部と高松出口を撤去する事で要町付近も地下構造とする案で合意し、残りの区間の都市計画が1993年(平成5年)に決定された。

高松出口は要町交差点に近接しているため、本線のトンネル入口を作る空間が確保出来なかった。このため、高松出口を撤去して空間を作り、内回り線の出口機能は椎名町駅と要町交差点の間に新設する西池袋出口で代替することになった。工事期間中は高松出口を仮設高架橋に切り替え、西池袋出口開設の前日に閉鎖された。

要町交差点内には、将来山手通りを立体交差化することを想定して、環六ボックス(要町ボックス)と呼ばれるトンネルが設置されていた。これを中央環状線に転用することにしたが、一般道路の設計だったので、そのままでは幅員が狭いなどの問題があった。そこで、要町駅の一部を取り壊して要町ボックスを拡幅する工事が行われた。また換気管がないため、要町駅のさらに下(要町駅は改札階の下に2層のホームを有する深い駅である)に、換気管を推進工法で増設した。
中落合の換気塔の位置の変更

1990年(平成2年)の都市計画決定では、中落合の換気塔は山手通り脇の公園に設置し、上下線に高低差を付ける予定だった。これは将来、関越自動車道と結ぶ高速練馬線とのジャンクションを建設する際に、支障がでないようにとの配慮しての設計であったが、公園内への換気塔の設置に対する住民の反対運動がおき、第118回国会(1990年〈平成2年〉)の建設委員会において、鈴木喜久子委員による反対を趣旨とした質疑に取り上げられた。そのため、中落合の換気塔を山手通り内に入れ、トンネルも上下線に高低差を付けない設計に変更され、1991年(平成3年)4月に都市計画変更された。

なお現在の構造でも、最新の土木技術を駆使し、莫大な建設コストをかければ、中落合でのジャンクションの建設は不可能ではないと考えられている。中央環状新宿線の中落合付近の前後の開削区間では、上下線が相互に乗り入れられる構造となっている。


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