首都機能
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移転先候補地となる可能性がある地域

三重畿央地域」


3候補地による誘致合戦は当初熱を帯びたが、皮肉にも前後して中央における移転論は沈静化していく。土地バブルが崩壊すると、地価下落による悪影響の方が深刻化し、移転がそれに拍車をかけることが懸念されるようになっていった[16]。移転対象であるはずの首相官邸総務省外務省などの庁舎も次々に建て替えられた。1999年東京都知事選挙において、かつては移転論に賛成していた石原慎太郎が「絶対反対」を公約に当選したことも、移転論に冷や水を浴びせる格好になった。

2001年(平成13年)には小泉純一郎が首相に就任。かつて1995年(平成7年)の自民党総裁選で「東京大阪を結ぶ線上には移転しない方がいいだろう」と回答しており、移転論そのものには反対ではなかった[17]が、在任中に首都機能移転凍結に方針を変えた。これに対し、2002年(平成14年)当時、国会等の移転に関する特別委員会委員長だった石原健太郎が凍結裁決をせず辞任を表明した。その後、2003年(平成15年)には、衆参両院の「国会等の移転に関する特別委員会」にて、「移転は必要だが、3候補地の中でどの候補地が最適なのか、絞り込めない」形で中間報告を採択した。これは事実上の凍結宣言であり、その後、国政での話し合いは行われなくなった。移転凍結以後は、国会議員も首都機能移転についての言及を避け、それぞれの移転候補地の地元国会議員たちで結成されていた首都機能を誘致する会の議員連盟は、全て解散した。2006年(平成18年)には首都機能移転担当大臣のポストが道州制担当大臣に変更された。これは、首都機能移転から道州制への政策転換を意味する。首都機能移転の利点が薄弱となり、財政問題が顕在化した現状では、実現不可能であるとの考えが大勢を占めた。また、各移転候補地では「このまま予算を使っていては、県民に説明できない」として、首都機能移転担当課の廃止・誘致活動の停止が相次いだ。小泉政権においては目玉政策として「都市再生」が遂行されたが、容積率の緩和など規制改革によって民間投資を呼び込む手法は、むしろ東京一極集中を加速させることになった[18]

2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生すると、東京都内でも「帰宅困難者」の発生や計画停電の影響から交通を初めとした首都機能が麻痺し、その影響で被災地支援に影響をきたすといった事態が発生した。そのため東京一極集中の弊害が再認識され、首都機能移転構想や遷都論が一部で見直された。かねてから大阪都構想を提唱していた、橋下徹大阪府知事(当時)など関西の知事らが首都機能の関西移転について活発に発言。同年7月1日には副首都建設を目指す超党派の「危機管理都市推進議員連盟」会長の石井一も同席して、石原慎太郎と橋下徹が会談し、東京を「首都」、大阪を「副首都」とする方針で合意したとも伝えられた[19][20]。橋下は「副首都」について、「東京から行政機関を移転するということではなく、副首都を担える行政機構、都市機能を整備していくということだ」と説明[19]。また、宮城など被災地自治体からも復興の一環として首都機能の東北移転などが提案されており、国会でもこうした議論を受ける形で再燃の気運が一時盛り上がった[20]

しかし、2011年(平成23年)7月の国土交通省の組織改変で、国土政策局の担当部署「首都機能移転企画課」が設置から18年が経過しながら議論の進捗が見られないとして廃止となり、首都機能移転に関する業務は新設された国土政策局の総合計画課に移管され継続されているものの、専従の担当者は居なくなった[21]

その後2020年東京オリンピック開催決定などを経て首都機能移転も道州制も再度下火となるが、地方自治体では経済低迷や人口減少、東京一極集中への不満が根強く、中央省庁の一部移転が模索された。文化庁京都市への全面的移転を決めて、準備を担当する地域文化創生本部2017年(平成29年)4月に設置[22]消費者庁徳島県の誘致を受けて一部業務を移転した[23]。地方では東京の関係者との対面業務が困難であるが、迅速性・機密性などの点でリモート会議による対応は難しいため、2023年の文化庁の移転にあたっては東京に総合調整機能を持つ拠点が設けられる[24]

京都府・市は、文化などで首都に準ずる役割を担い、一部皇族を京都に居住してもらうことで首都機能を東京と分担する「双京構想」を提案している[25]
論点
賛成論

東京一極集中の抑制「経済的中心地」と「政治的中心地」を切り離すことによって、分散型の国土を形成し、
地方の活性化と、過密状態の首都圏の減量を図れるという考え方。

政治・経済の改革企業の集積している東京から国会と官庁群を移転することにより、企業と政府の間に距離が生まれて、政経癒着を解消できるとする。

災害対応力の強化南関東直下地震発生時や、東京への有事に、過密状態の東京が首都であれば、政治・経済が長期間にわたって大ダメージを受けると恐れられているため。数ヶ所に分散・移転させた他地域でも危急時の災害対策が必要なことに変わりないとしても、同時に両方で大規模な地震などが起きる可能性は確率的にかなり低く、損害が皆無または軽微に留まった方が災害復興活動を主導できるメリットがある。

反対論

費用移転費用は12兆円とされ、現状の厳しい財政状況では困難である。そのような費用があるなら、直接地方振興や都市環境の整備に使えばよく、また費用以上のメリットはないとする。なお、この移転費用については推進派からは「勝手に数字が一人歩きした」
[26]という反論もあり、既設のインフラストラクチャーを活用することで費用を削減できると主張している。

効果への疑問地方分権や規制緩和、ひいては経済的な東京一極集中は経済性の問題であり、首都の位置とは無関係とする。日本経済新聞が「東京に本社を置く企業」にアンケートを取った所、本社を置く動機として首都機能を挙げた企業は少数に留まった。また、移転後の新首都へ拠点を置く場合でも、多くの企業が50人以下の小規模なものに止めるという回答が多数派を占め、首都機能移転によって企業が首都圏から分散できるという主張への反証となっている。仮に首都機能移転を実施し、数十万人が「新首都」に移ったとしても、それは首都圏(1都3県)の人口約4,000万人のうちのわずか1 %程度に過ぎず、首都機能を移転するだけでは東京一極集中の是正という目的は達成されない。

自然災害などリスク分散への疑問自然災害に対するリスクの存在は移転先でも変わりはなく、どこに移しても災害への対策が必要とされるとする。例えば、大規模地震は全国至る所を震源地として起こっており、3つの移転候補地のうち、畿央は琵琶湖西岸断層帯東南海地震南海地震中央高地の東濃は東海地震や東南海地震、福島県中通り那須火山帯の危険地域である。

移転先の環境問題国会で議論されていた首都機能移転では人口30万人規模の大規模な造成事業を伴うが、これだけ大規模になると環境への影響も大きく、現実に移転先に受け入れられるのかという問題をはらんでいる。候補地の一つ愛知県瀬戸市では愛・地球博の開催が予定されていたが、自然保護を理由とする反対運動で頓挫し、規模を大幅縮小の上、隣接する長久手町(現・長久手市)の青少年公園を主会場とすることに変更された。愛・地球博の構想に携わっていた者が、移転推進派の代表的論客だった堺屋太一であり、堺屋は規模縮小に反対して万博から手を引いた。

東京都の意向元東京都知事石原慎太郎は、国会議員時代には賛成の立場だったが、都知事としては反対を鮮明にしていた。しかし、東日本大震災後には首都機能分散に賛意を示している[27]

脚注[脚注の使い方]^ 国会等の移転ホームページ


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