首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑
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新しい法律は以前に存在していた反逆罪の定義を狭め、古い封建的な犯罪を2つに分類した[14][15]。この内、一般の反逆罪は召使いが主人(または領主)を殺した場合、妻が夫を殺した場合、聖職者が(自らの上役の)高位聖職者を殺した場合を指し、この場合、男は絞首刑に、女は火炙りにされた[注釈 3][18]

一方は大逆罪であり、個人が犯しうる最も重い罪と定義された。王の権威を貶めようとする試みは被告人が国王に直接危害を加えたものと同等に重大なものと見なされ、それ自体が主権者である国王の地位への攻撃であり、統治権に対する直接的な脅威となる。これは国家を弱体化させるおそれがあるために報復が絶対的に必要なものであり、よってその刑罰は究極のものでなければならないと考えられていた[19]。したがって、2つの反逆罪の実質的な違いは有罪判決を受けた後にあった。男は単なる絞首刑ではなく、首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑に処され、女は公序良俗の観点(女性の身体を解体することは刑罰として不適切と見なされた)から、首吊り・火炙りとされた[17][20]

この法では以下の場合に大逆罪を犯したとみなした[12]

王または王妃、あるいはその嫡男や王位継承者の死を暗示したり望む。

王妃、または未婚の王女、あるいは嫡男や王位継承者の妻を犯す。

王への反乱を起こす。

王の敵を支持し、国内外で援助する。

国璽や王璽、あるいは王によって発行された硬貨の偽造を行う。

故意に偽造貨幣を国内に持ち込む。

大法官や大蔵卿(英語版)、国王の裁判官をその執政中に殺害する。

この法律は反逆罪の範囲を定義する際の国王の権限を制限するものではなかった。この法律にはイングランドの裁判官が必要に応じてその範囲を拡大できる裁量権を与える旨の条項が含まれており、これはより一般的には擬制的反逆罪(Constructive treason)として知られているものであった[21][注釈 4]。これはイギリスの海外植民地時代のアメリカ大陸の臣民にも適用された。ここで首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑に処されたと記録に残っている唯一の事例は、大沼の戦い(英語版)においてナラガンセット側で戦ったと告発されたイギリス人入植者ジョシュア・テフトの事件であった。彼は1676年1月に処刑された[23]。これより後に起こった反逆罪に対する判決は、恩赦または絞首刑であった[24]
1695年反逆法詳細は「1695年反逆法(英語版)」を参照

第3代バッキンガム公爵エドワード・スタッフォードは、反逆罪によって1521年5月17日に処刑された。彼への判決の宣告文は残っており、そこにはその処刑方法が具体的に残っている。彼は「ハードルに寝かされて処刑場へ引き回され、首を吊られた後、まだ生きているうちに切り落とされ、あなたの四肢は切断されて火の中に投げ込まれ、あなたの腸はあなたの前で焼かれ、あなたの頭は落とされ、あなたの身体は王命により四つ裂きにされ、あなたの魂に神の御加護がありますように」[25]

1351年の法では反逆罪で有罪判決を下すのに必要な証人は1人でよいとされていたが、1547年に2人に増やされた。容疑者は公の場で裁かれる前に、まず枢密院にて非公開で尋問された。これには無実を証明する証人や弁護人の立席は許されず、通常は最初から有罪と推定されていた。このため、何世紀にもわたって反逆罪で告発された容疑者は法的に著しく不利な立場にあり、この状況は17世紀後半まで続いた。この時代、ホイッグ党の政治家に対する政治的動機からの反逆罪の告発が数年間にわたって頻発したため、1695年反逆法の制定に繋がった[26]。これにより、被告人の弁護人、証人、起訴状の写し、陪審員が認められ、君主の命を狙った罪での起訴以外では、告発された犯罪が3年以内のものに限定されるようになった[27]
刑の執行

判決を受けた罪人は、通常、数日間牢屋に留め置かれた後、処刑場に連行される。中世初期には罪人が直接体を馬に結びつけられて刑場に連行されることもありえたが、その後は馬に繋がれた籐製のハードル(つまり木製のパネル)に載せた状態で連行されることが通例となった[28]。歴史家のフレデリック・ウィリアム・メイトランドは、この理由をおそらく「死刑執行人が罪人が生きている状態を確保したいからだ」と推測している[29]。刑の名前に「draw(引く)」という意味の "drawed" という言葉が使われていることはある種の混乱を生じさせた。オックスフォード英語辞典のdrawの定義には、「内臓や腸を引き出す」というものがある。「内臓や腸を外に引き出すこと。?から臓物を取り除く(調理のために家禽に行う。あるいは反逆者や罪人に絞首刑の後に行うもの)。」とあるが、これに続いて「死刑執行の多くの場合においては、これを意味しているか、もしくは[(犯罪者を)馬の尻尾やハードルなどで処刑場まで引きずっていくことであり、かつては大逆罪の法定刑であった]ことを意味しているかは不明である。hanged(絞首刑)の後にdrawingが出てくる場合は、内臓抉りの意味だと思われる」となっている[30]。歴史家のラム・シャラン・シャーマ(英語版)も同じ結論を述べている。


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