養蚕業
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平行して1895年には綿糸、1918年には合成繊維(スフ・レーヨン)の会社も設立されていたが、養蚕業は1935年前後にピークを迎える。

ところが1929年世界大恐慌1939年第二次世界大戦、そして1941年太平洋戦争によって、生糸の輸出は途絶した。一方で1940年には絹の代替品としてナイロンが発明された。戦災もあって日本の養蚕業は、ほぼ壊滅に至る。

敗戦後、食料増産を優先したため養蚕業の復興は遅れたが、1950年代に復興することとなる。しかし戦前のようには輸出できず、1958年には養蚕業危機に直面し、桑園2割減反の行政措置を取られる[18] など、水を差されることもあった。

高度経済成長によって内需が伸びてくると、1966年の日本蚕糸事業団法施行と各地での養蚕団地の取り組みなどもあり、内需に応じる形で生産が増加し、東京都下三多摩)などを中心にようやく1970年代に再度のピークを迎えた[19][20]。とはいえ、繭生産量、生糸生産量とも、1935年の半分以下に過ぎず、また1962年(昭和37年)の生糸輸入自由化[21] を経て、このころには一大輸入国に転じていた[18]。その後、一元輸入制度導入、蚕糸業振興資金の設置等が行われるも、1973年の第一次オイルショック以降、価格の暴落・農業人口の減少・化学繊維の普及で衰退が進み、1994年(平成6年)にはWTO協定で再度自由化され、1979年には収繭量1トン以上の大規模養蚕農家だけでも15,497戸あったところ、2016年には全国の養蚕農家数は349戸にまで減少している[19][20]。都下の養蚕業者数も全盛期の30軒[22] から2014年には6軒まで減少した。

数万頭の蚕の生育度合を調整して同じタイミングで上蔟(じょうぞく:蚕が繭を作り出すこと)させるなど、日本の養蚕農家には特筆されるべき技術・知恵が残っている[23]

2000年に遺伝子組み換えカイコの作出に成功して以来、現農研機構・群馬蚕糸技術センターなどの研究機関は遺伝子組み換えカイコの研究・実用化を目指している。2017年、カルタヘナ法による遺伝子組み換えカイコの第一種使用が承認され、養蚕農家からGFP蛍光シルクを作るカイコの飼育・繭の出荷が行われた[24]。遺伝子組み換えカイコの一般農家による飼育は世界初である。

なお、皇后雅子は、皇居内紅葉山御養蚕所で、養蚕始儀、給桑、繭切り、採種、養蚕納儀をみずから行なっている(宮内庁サイト)。
欧州での歴史

ヨーロッパの養蚕は東洋から伝えられ、一説には紀元500年頃にインドから2人の僧侶が竹杖に隠した蚕種をコンスタンチノープルに持ち込んだのが最初といわれている[6]。8世紀にはペルシャからスペインにまで養蚕は普及し、10世紀には南イタリアさらに北イタリアで養蚕が普及した[6]

フランスでは13世紀に養蚕が始まったが、ルイ14世の時代の迫害による新教徒の国外脱出によりフランスでの養蚕はいったん衰え、脱出者はイギリス、ドイツ、スイス、オランダなどで養蚕を始めたがこれらの地域では風土が養蚕に適しておらず衰退した[6]。フランスの養蚕業の最盛期は1853年で産繭額は2.6万トンに達した[6]。しかし、微粒子病の蔓延により壊滅的な被害にあい、1865年には5.5千トンに激減したが、パスツールが微粒子病防除法を確立して一時的に回復した[6]。しかし、桑からブドウへの作物の転換や中国や日本からの生糸の輸入増加、さらに第一次世界大戦の影響を受けて1915年には1.7千トンになり第二次世界大戦後に養蚕業はフランスから姿を消した[6]

イタリアではフランスより早く南部から養蚕が始まり、19世紀には産繭額は5万トンに達した[6]。しかし、イタリアでも微粒子病が蔓延し、1865年には2.6万トンに減少した[6]。微粒子病防除法の確立で回復し、1900年には5.6万トンになった[6]。第一次世界大戦の影響で産繭額は半減したものの、戦後に回復して1920年代から1930年代にかけてイタリアの養蚕業は最盛期となった[6]。第二次世界大戦後、フランスでの養蚕業の衰退によりイタリアは西ヨーロッパで唯一の養蚕国になったが、農業労働力の不足や技術革新の遅れで産繭額は著しく減少している[6]
産地
日本日本の養蚕業の主産地として、南東北北関東甲信地方南九州などがあった。繭の集散地として栄えた山形県鶴岡市福島県梁川町埼玉県深谷市、埼玉県熊谷市富山県富山市八尾町長野県上田市愛知県豊橋市京都府綾部市は蚕都と、東京都八王子市は桑都と呼ばれた。ほか群馬県中之条町の「六合赤岩」、石川県白山市の「白峰」、山梨県甲州市の「塩山下小田原上条」、長野県東御市の「海野宿」、兵庫県養父市の「大屋町大杉」の各地区は、種別「養蚕集落(町)」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
中国浙江省江蘇省山東省広東省などが主要な養蚕地となっている。これらの地域では、繭から絹糸を取った後に残るカイコガ昆虫食食材として利用して来た経緯があり、近年は、むしろ蛹を得て売るためにカイコガを育てる例もみられる。
中東シルクロード沿線のイランアフガニスタンウズベキスタンなどでも行われ、2022年に当該地域の絹の生産とともにUNESCO無形文化遺産に登録される[25]
ヨーロッパコンスタンティノポリスルッカティーヴァコリントスヴェネツィアフィレンツェリヨントゥールで、育てられている。
出典^ a b 監修 坂本太郎『日本史小辞典』山川出版社、1995年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4634090104。 


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