養老孟司
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このような医療事故を3回経験したことから、患者と接する医者の道を諦めた[7]。その後、精神科医を目指そうとしたが抽選に外れ、結果的に解剖学の道を志した[7][8]。「医学においては死んだ人間を扱う解剖学が最も確実なものだ」と考えたのが理由だとしている[8]1967年(昭和42年)3月に東京大学大学院医学系研究科第一基礎医学専攻博士課程を修了し、医学博士の学位を取得[9]学位論文の題は「ウロコ形成におけるニワトリ胎児表皮の増殖と分化」[10]
職歴

東京大学医学部助手助教授を経て、1981年(昭和56年)に解剖学第二講座教授となる。この間、1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけてオーストラリアメルボルン大学留学した。

1989年から1993年平成5年)は東京大学総合研究資料館館長を、1991年(平成3年)から1995年(平成7年)は東京大学出版会理事長を歴任した。

1995年(平成7年)春、東京大学を57歳で早期退官。

以後は短期で北里大学教授、大正大学客員教授を務めた。
執筆活動以外

各地で講演を行いつつ、代々木ゼミナール顧問、日本ニュース時事能力検定協会名誉会長、ソニー教育財団理事、21世紀高野山医療フォーラム理事[11]を務めている。また、2006年の開館時から2017年3月まで京都国際マンガミュージアム初代館長[12]を務め、2017年4月からは名誉館長に就任[13]。その他には2017年時点で、小林秀雄賞毎日出版文化賞山本七平賞選考委員を務めている[14][15]。2018年時点で、NPO法人「日本に健全な森をつくり直す委員会」委員長[16]。2020年9月から、ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部の顧問に就任。

政府関係では農林水産省食料・農業・農村政策審議会委員を務めた[9]福島県須賀川市のムシテックワールド館長、日本ゲーム大賞選考委員会委員長[17]NPO法人「ひとと動物のかかわり研究会」理事長[18]

2020年6月26日、体調不良のため病院で検査を受けたところ心筋梗塞と診断された。集中治療室で2日間の治療を行い、2週間の入院を余儀なくされた。主治医によるといつ死んでもおかしくない状態であった[19]東京大学医学部附属病院を受診するのは26年ぶりであったが、70キログラム以上あった体重が1年で15キログラム減り、6月に入り体調が悪く、特に受診直前3日はやる気が出ず寝てばかりという状態に「身体の声」を尊重して健診嫌いを押して、教え子である中川恵一の診察や心電図検査を受けた。病院の待合室で妻や秘書と「天ぷらでも食べて帰ろうか」と話していたら「ここを動かないでください」と言われ、心臓カテーテル検査から2週間の入院となった[1]
人物

父の
臨終に立ち会った際、周囲の大人たちに促されながら「さよなら」の一言を言えなかった経験が、中学生・高校生時代「人と挨拶するのが苦手」な性格に影響したと自己分析している。父という大切な存在にもできなかった挨拶を他人にするわけにはいかないと思っていたのだ。その因果関係に気づいたのは40歳を過ぎてからの通勤途中の地下鉄のホーム上であり、その後、地下鉄の中で涙しながら「そのとき初めて自分の中で父が死んだ」と自著で告白している[20]

執筆活動

人間がものごとを
認識する場合に根底に潜む問題、心の問題、社会現象の基底に潜む問題、世の中の俗人が見落としがちな大切なこと、などを、自身の専門である解剖学や、また脳科学など医学生物学領域の知識を交えつつ解説することによって多くの読者を得ている。

1989年に『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞[21]。以後三十数年間にわたり、対談も含め一般向け著書を多く出版している。日本ペンクラブ会員である。メディア出演も多い。

2003年(平成15年)4月に出版した『バカの壁』(新潮新書)は、同年のベストセラー第1位で、毎日出版文化賞特別賞を受賞[22]、題名の「バカの壁」で新語・流行語大賞も受賞した[23]。新書判では戦後最多の発行部数である。

趣味

昆虫採集。特にヒゲボソゾウムシ[24]、クチブトゾウムシを集めている[25]。集めた昆虫はスキャナーで撮りデジタル図鑑にしている[26]。神奈川県の箱根別荘藤森照信設計の「養老昆虫館」)に、約10万点の昆虫標本を所蔵する[27]。別荘の基礎の側面には「馬」と「鹿」のイラスト(南伸坊筆)が描かれている[28]。 

鎌倉昆虫同好会を結成し会長を務めた(機関誌は月刊『KABUTOMUSHI』)。テレビやラジオの取材も受けた。その頃から「どんな問い合わせにも応じられるような日本昆虫センターを作りたい」という夢を公言していた。虫が好きな理由については「論理的に意味がわからないことがたくさんある(からおもしろい)」という旨を述べている[28]

2015年、鎌倉の建長寺に虫塚を建立した[29]。人間が多くの虫を日々殺している加害者であることに自覚的でありたいという趣旨と述べている[30]虫かごに似せた外観は、隈研吾がデザインした[30]

動物好きで、愛猫のまるをDVD化した『どスコい座り猫、まる。?養老孟司先生と猫の営業部長』が2011年にリリースされた。なお、愛猫のまるは2020年12月21日、心不全により18歳で亡くなった。拘束型心筋症を患い、晩年は寝たきりの状態が続いていた[31]。関連出版が、養老研究所名義(関由香写真)で3冊ある。

思想、社会事象の分析

自身の思想的立場、
科学哲学を「すべてが物語・仮説であると考える点で、自分はポパー主義者である。」としている[32]

文化や伝統、社会制度、言語、意識、心など人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという「唯脳論」を提唱した。この考えは『月刊 現代思想青土社に連載した、初期著作『唯脳論』(新版・ちくま学芸文庫)にまとめられている。


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