飯田貞固
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近衛騎兵連隊長、軍務局馬政課長、陸軍省副官などを歴任し、1933年(昭和8年)3月、陸軍少将に進級し騎兵第3旅団長となり、満州事変に出動した[1][2][3]

以後、陸軍騎兵学校長、参謀本部総務部長を経て、1936年(昭和11年)12月、陸軍中将に進み騎兵監に就任[1][2][3]1937年(昭和12年)8月、近衛師団長となり、第12軍司令官を務めた後、参謀本部付となり、1941年(昭和16年)4月、予備役に編入された[1][2][3]
栄典
勲章等


1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]

外国勲章佩用允許


1906年(明治39年)7月13日 - プロイセン王国王冠第四等勲章[5]

エピソード

1937年、近衛師団長に就任したが、同師団は日露戦争以降長らく実戦経験がなく、盧溝橋事件勃発後も出動命令が下ることがなかった。このことから、出動命令を受けた他の師団より「あれはおもちゃの兵隊さんではないか」と陰口をたたかれていた。たまりかねた飯田は昭和天皇と面会した折「将兵一同は皆出征を希望しております」と具申。天皇は驚いて「そんなに皆、出たがっているのか」と承諾した。転任後の1937年11月、実に35年ぶりに動員下命が下った
[6]

脚注^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典』第2版、14頁。
^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』46頁。
^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』216頁。
^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
^ 『官報』第6919号「叙任及辞令」1906年7月23日。
^ ノーベル書房編集部編『陸軍郷土歩兵聯隊写真集 わが聯隊』 ノーベル書房、1979年。93,95頁。

参考文献

秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。

外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。


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