飯島愛
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その後、テリー伊藤の言うとおり、4月1日の『サンデージャポン』のラスト10分で、事前に収録された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」と題されたVTRが放送され、飯島は週刊誌で報じられている「藤田晋とITビジネスを行うという説」や「ニューヨークへ移住するという説」を否定し、「(今後は)医療関係の仕事に就きたいが、今から勉強しても間に合わない。でも、(医療と性質の似ている)カウンセリング関係の仕事をしたい」「歌や(お笑いの)ライブなど、板の上(舞台)に立つ仕事ができないと、芸能人としては限界がある。あと、病気で休んでいる時に、私の代わりになる若手はいっぱいいると思った」と語り、「精子バンクでシングルマザー説」については「試みようとしたことはある」と述べた。

そしてVTRの最後では、高橋ジョージが飯島のために「ロード」を熱唱し、飯島はみんなへの感謝のメッセージを贈った。

2007年3月31日、「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として所属事務所から正式に引退が発表された。
死去.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキニュースに関連記事があります。

元タレント・飯島愛さんが急死

飯島は引退後も「飯島愛」としてブログ『飯島愛のポルノ・ホスピタル[注 3]』を続け、2008年平成20年)12月5日の更新が生涯最後となる[7][8]。2008年12月24日、東京都渋谷区桜丘町渋谷インフォスタワーの自室で亡くなっているのが[9]親戚の女性によって発見された。その後、警察などの捜査によって、発見時点で死後1週間ほど経過していたことが判明した。死亡推定日は発見日である12月24日から起算して12月17日前後であると考えられている。36歳没。2009年平成21年)2月4日東京都監察医務院による病理検査の結果が警視庁渋谷警察署より発表され、死因は肺炎であったことが判明した[10]。真冬ではあったが、室内の暖房が点けられたままであったため、遺体は傷んでいたという。

2009年2月6日、『中居正広の金曜日のスマたちへ』300回記念スペシャルにて追悼特集を放送。中居やベッキー、大竹しのぶら出演者が「お別れ会」という形で最後のメッセージを贈り、涙ながらに飯島の死を追悼した。

飯島愛の本葬(お別れの会)が、2009年3月1日東京プリンスホテルにて執り行われ、親交のあった芸能人をはじめ約1500人が参列した[11]。弔辞は島田紳助と盟友の中山秀征がそれぞれ読んだ。なおこの時の模様は、かつて中山が飯島と共に司会を務めた『ウチくる!?』内で生放送された。

飯島の没後もブログには連日ファンのコメントが書き込まれ続けており、故人を偲ぶ宝物のような存在になっていたが[12]、2015年9月18日に放送された『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS)で、ブログを管理している両親の意志によりブログを閉鎖することが発表され[13][14]、存命であれば43歳の誕生日となる同年10月31日をもってブログは閉鎖された。最終日になっても書き込みは続いており、翌11月1日午前0時時点での最終的なコメント数は約72700件に達した[15]
人物・エピソード

AVデビューを果たして『ギルガメッシュないと』に出演し始めた頃は、当初新人という事もあり、若さを前面に押し出したアイドル的(いわゆるぶりっ子的)な仕草や口調のキャラクターとして振る舞っていたが、その中で徐々に等身大の本音の部分を垣間見せるような芸風[注 4]を確立していった。AV女優を引退してタレントに転身した後はアイドル的な振る舞いをする事はなくなったが、ギャル的な口調で等身大の本音を語る芸風はその後も継続された。

タレント転身後の飯島側は、飯島の元AV女優としてのイメージを払拭しようとする戦略を取っていたらしく、タレントに転身してから2000年に著書『プラトニック・セックス』でカミングアウトを果たすまでの間、飯島の元AV女優としての経歴は芸能界では公然の秘密となっており、飯島本人はもとよりテレビ番組での共演者もその経歴について触れることが一切なかった[注 5]。そのような方針にもかかわらず、一般にはAV女優としての経歴は広く知られており、AV女優のスカウトを行う際に、AV女優からキャリアをスタートして最終的にタレントや女優になれる道が開ける可能性がある、という釣り文句の引き合いとしてよく利用されていた。

タレント転身以降のテレビ番組への出演の際は、露出の多い服装でボディラインや脚線美を魅せる「お色気担当」として活躍すると同時に、クイズ番組等では珍解答を連発する、いわゆる「おバカタレント」としても活躍した。反面、芸能、政治、スポーツなどの各分野で本音や自身の主張を展開した。決して無知無学ではなく、相応の勉強をして教養を身に着けていた。

ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多かった。例としては『スパスパ人間学!』『決定!これが日本のベスト』『ロンドンハーツ』等がある。
出演番組
テレビ

未来MODELテレビ東京系)

スパスパ人間学!TBSほか)

スーパークイズスペシャル日本テレビ系)

クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系)

新装開店!SHOW by ショーバイ!!

新装開店!SHOW by ショーバイ2


マジカル頭脳パワー!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系)

スーパーJOCKEY 常連ゲスト扱い。(日本テレビ系)

ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!テレビ朝日系)

紳助のサルでもわかるニュース レギュラー(読売テレビ

嗚呼!バラ色の珍生!! パネラー(日本テレビ系)

クイズ赤恥青恥 準レギュラー解答者(1995年 - 2002年)(テレビ東京系)

ひらけ!GOMA王国 レギュラー(1995年 - 1996年)(関西テレビ

愛する二人別れる二人 準レギュラー(1998年 - 1999年)(フジテレビほか)

ろみひー レギュラー(1999年4月?2003年3月)(中京テレビ制作日本テレビ系)

あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW! ゲスト(2001年4月 - 2004年3月(中京テレビ製作)

所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝 準レギュラー(2004年 - 2005年)(テレビ東京系)

決定!これが日本のベスト 準レギュラー(初期 - 中期)(テレビ朝日系)

タモリのSUPERボキャブラ天国 準レギュラー審査員(フジテレビ系、フジテレビ721にて再放送)

タモリの超ボキャブラ天国

黄金ボキャブラ天国

家族そろってボキャブラ天国

続ボキャブラ天国


タモリのネタでNIGHTフィーバー!(フジテレビ)

タモリのギャップ丼(テレビ東京系)

ウチくる!?(フジテレビほか)

中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS系)

サンデージャポン(TBS系:2006年11月12日・12月3日は出演せず)

金のA様×銀のA様(日本テレビ系)

ロンドンハーツ(テレビ朝日系)


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