飯塚昭三
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在学中に劇団を結成して、日本各地で演劇を上演する[8]。大学卒業後も、仲間と劇団を組んで公演を行っていた[15]。当時は劇団仲間たちと一緒に「マスコミに通用するプロダクションを作りたい」と思うようになったという[15]。しかし個人では作っていいのかも分からず、そんなお金もなく、仲間5人で劇団若草でスタッフとしても就職していた[15]

テレビ局を担当するからマネージャーになり、テレビ局を回る仕事をし、必要なノウハウを3?4年で学び、劇団若草を退社[15]。学んでいたノウハウを活かし、独立後は、劇団チャイムや劇団アポロなどの5つくらいプロダクションを結成[15]

プロダクションのマネージャーをしていた時に、ある撮影で「役者の隣に座ってくれ」と言われた[15]。そのまま出演していたところ「出てくれてありがとう」とお金をもらった[15]。ギャラを渡されることを体験して、「役者っていいな、役者やろうかな」と少し考えるようになったという[15]
声優デビュー後

洋画吹き替えに出演したことがきっかけで、声優としても活動するようになった[8][15]

東映での最初の仕事は、『好き! すき!! 魔女先生』のクモンデス役[15]。この役がきっかけで、その後も怪獣、悪役、敵役を演じるようになった[15]。その次が、『超人バロム・1』のドルゲ役だった[15]。6か月間、病気により声がまったく出なくなったため[16]特撮メタルヒーローシリーズ」第1作『宇宙刑事ギャバン』のドン・ホラー役を第10話で降板して半年間の休養後、アニメ『愛の戦士レインボーマン』の帝王ドンゴロス役で復帰する[17]

東京俳優生活協同組合を経て[2][18]1988年からシグマ・セブンに所属[6]
2000年代以降

後進の育成にも精力的であり、シグマ・セブンの関連会社養成機関であるDOA The・声優塾の主任講師を2022年末まで務めていた[10][8]。この他、2007年から専門学校アートカレッジ神戸にて「飯塚ゼミナール」という講義を行っていた。1999年時点から40年近く福島県いわき地区の高校演劇コンクールの審査員もしていた[16]

2010年には「スーパー戦隊シリーズ」第34作『天装戦隊ゴセイジャー』では物語序盤のレギュラーとして大王モンス・ドレイクの声を担当することになった。2006年発売のゲームソフト『宇宙刑事魂』にて過去に降板したドン・ホラー役に復帰し、魔王サイコの声も担当した。その後の映画作品などでも、それらの役を引き続き担当している。

2022年、『東京アニメアワードフェスティバル 2022』において「アニメ功労部門」を受賞[19]

最晩年の2022年末頃からは、体調を崩し仕事を控えていたという[10]。2023年2月15日午前9時14分、急性心不全のため死去。89歳没。訃報は、同月28日に所属事務所により発表された[10]

遺作は、かつて主演したアニメーション映画『カールじいさんの空飛ぶ家』の続編であり、2023年8月に劇場公開された短編アニメーション映画『カールじいさんのデート』のカールじいさん役となった[10][20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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