食糧管理制度
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食管会計は赤字がかさんだため、1969年には消費者の嗜好も考慮し、自主流通米制度(じしゅりゅうつうまいせいど)を発足させ、一部の良質な米に限り政府を通さず、直接卸売業者などへ販売することを認めた。「自主流通米」という名称は、一部の米を除き政府管理は持続するということを踏まえ、自由米(ヤミ米)と区別する意味合いで付けられた。同時に減反政策が開始され、続いて1972年に物価統制令改正で、消費者米価が自由化された(標準価格米制度)。

1973年には、古米の在庫処分が済んだことで、米の需給は一旦均衡するものの、世界食糧危機の煽りを受け、日本国民の食糧安全保障に対する意識が高まり、再び生産者米価が引き上げられたため、古米在庫や食管会計赤字は増加していった。

なお一連の政策により、従来の食糧管理制度は大きく変貌し、当初の方針とは全く異なるものとなったため、1981年6月11日に食糧管理法は全面改正された(食糧管理法の一部を改正する法律)。条文において「配給の統制」から「流通の規制」へと改め、自由流通制度を法定化するなど方針転換を明文化したこの法律は改正食糧管理法とも呼ばれる。

自由米への規制を廃止する一方で、緊急時の配給実施に備えた規定を盛り込み、流通業者は許可制とした。つまり食糧管理制度における政府の役割は、米流通の「統制」から「管理」へと変化したのである。これにより通常時の配給制度自体が廃止されたため、米穀配給通帳も廃止された。その後も卸売や小売の営業区域が拡大されるなど、流通自由化はさらに進んだ。

1990年には、自主流通米価格形成機構が設立され、自主流通米の入札制度が開始された。この頃には全流通米に占める政府管理米の流通割合は、2割を切る程に縮小した。

一方で麦類に関しては、間接統制化以降制度に変化はない。だが逆ザヤの拡大に伴い、当初は政府買入麦と割合的にほぼ同数であった民間流通麦は、大幅に減少した。また政府が全て一律に買入れを行ったため、輸入麦に比して著しく品質が劣り、日本産の麦は不味いという風潮が強まった。生産性についても、何ら改善がなされなかった。
食糧事情の変化と制度の限界
食糧管理費の増大
米価は
米価審議会で決定されたが、1960年には従来の物価に連動したパリティ方式に基づいていたものから、高度経済成長に伴う都市と地方の所得格差に配慮した所得補償方式に移行し、米価はインフレーションに応じて高騰するようになったため、農家は米生産に関しては経済的リスクがなくなった。その結果、他の農作物に優先して生産されたことで供給過剰となり、日本国政府の在庫費用が増大した。また一方で、売渡価格は都市生活者に配慮して買入価格を下回ることとなったため、ここに逆ザヤが生じて、1980年代にはいわゆる食管赤字は1兆円にも達し、日本国政府の財政赤字要因3K(コメ国鉄健保)の筆頭に上げられるようになった。1987年には、生産者米価の引き下げが行われ、逆ザヤは解消された(ただし、日本国政府の在庫管理コストは依然残る)が、現在に至るまで負債(主に食糧証券により、借り換えで賄う)の解消は遅々として進んでいない。
米流通の硬直化
一方で、消費者への流通は在庫期間の長いものから売り出されるとともに、品種にかかわらず混合されていたために味が悪く、消費者は多少高くてもおいしい米を求めるようになり、最初は管理米の枠外として縁故米や「ヤミ米」として流通する。日本国政府はこれを追認する形として、一定以上の品質を確保した米だけを自主流通米として流通させることを認めた。それでも政府管理の外においての流通は拡大し、日本国政府も食管赤字の拡大を避けるため、これらの流通を黙認した。その結果、食糧管理法廃止直前には、自主流通米は政府管理米の2.5倍に達し、自由米は政府管理米の30%を占める状況となっていた。
食糧管理法廃止

このように、食糧管理法による食糧管理制度は制度的限界を生じていたが、以下の2つの事件が決定的な引き金となり、制度の根本的改革を求められるようになった。
1993年米騒動
1993年(平成5年)に起こったの天候不良の影響で、同年後半から翌1994年(平成6年)にかけて、日本国内の米が著しい供給不足(当時よく用いられた表現では「コメ不足」)となり、日本産米価格の暴騰・コメの緊急輸入が起き、食糧管理制度の脆弱性に対する非難が増加した。このため、日本国政府による管理を強化する一方、農家でも米を直接販売できるようにするなど、日本国政府はそれまでの方針と異なる方向への運用改善を余儀なくされた。この政府管理は、食管法が廃止される直前の1995年10月まで続けられた。
ウルグアイ・ラウンドでの米の輸入受け入れ
1995年(平成7年)、米騒動でコメの国際市場を乱したこと、自由貿易世界経済が進む中で、ウルグアイ・ラウンド農業合意により、ミニマム・アクセスとして、コメの輸入自由化要求を飲まざるを得なくなり、主にアメリカ合衆国からコメを輸入するようになる。しかし、その米は日本の主食用消費でなく、他国への食料援助や動物飼料や加工米の用途に振り分けられた。
主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(平成6年12月14日法律第113号)

1994年(平成6年)12月14日主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(いわゆる食糧法)が公布、一部の条項を除き翌1995年11月1日に施行され、これに伴い食糧管理法は廃止となった。また、制度の呼称としての「食糧管理制度」も内容の変更に沿って「食糧制度」に改められた。ただし、食糧管理特別会計(2007年度から食料安定供給特別会計)・食糧管理勘定など、一部の用語には「管理」の文字が残った。

食糧法の施行により、農家が自由に米などの作物を販売できるようになった。これはその後の米輸入解禁に備え、あらかじめ自由に米を流通させることで日本国内の農家の競争力・対応力の向上を目指したものである。一方で、政府による管理は緩和されることとなった。
減反政策

1970年代になると、食生活の変化の影響で、米が余るようになり、備蓄米が年間生産相当量まで達する事態も生じた。このため、日本国政府が主導して減反政策を推進してきたが、2004年平成16年)に方針を転換し、2018年(平成30年)に減反政策をやめることになった。
2004年の大幅改正

食糧法を大幅に改正する主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律等の一部を改正する法律(平成15年法律第103号)が2004年(平成16年)4月1日に施行され、従来からの農業従事者に限らず誰でも自由に米を販売したり流通させることが出来るようになるなど、1995年の食管法廃止・食糧法制定に匹敵するような制度改革が実施された。この大幅改正後の食糧法は、それまでの食糧法と区別するため「新食糧法」あるいは「改正食糧法」と呼称される。

法改正により、米穀の販売については、従来は登録制であったが、これが届出制になった。すなわち、47条1項は、「米穀の出荷又は販売の事業(その事業の規模が農林水産省令で定める規模未満であるものを除く。第五十九条において同じ。)を行おうとする者は、農林水産省令で定めるところにより、あらかじめ、次に掲げる事項を農林水産大臣に届け出なければならない」と規定している(届出制について参照、 ⇒[1])。

また。米穀の輸入についても、一定額を支払えば自由に行うことができるようになった。34条1項は、「米穀等の輸入(関税法 (昭和二十九年法律第六十一号)第二条 に定める輸入をいう。以下この項及び第四十五条第一項において同じ。)を行おうとする者は、国際約束に従って農林水産大臣が定めて告示する額に、当該輸入に係る米穀等の数量を乗じて得た額を、政府に納付しなければならない」と規定している。
麦流通「コムギ」も参照

麦(小麦大麦はだか麦)は価格統制が存在した。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}(主要食糧の需給及び価格の安定を図るための基本方針)
第二条 3  政府は、麦の需給及び価格の安定を図るため、麦の需給の適確な見通しを策定し、これに基づき、麦の供給が不足する事態に備えた備蓄の円滑な運営を図るとともに、麦の適切な輸入及び売渡しを行うものとする。

1952年5月29日食糧管理法改正公布(麦の統制が撤廃)、6月1日施行。

主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律の一部改正により、2007年4月1日から麦の政府買入制度が無くなり、国内産については全量民間流通となる。[2] [3]
関連項目

食料・農業・農村基本法

米価審議会

製粉振興会

貿易摩擦

食料自給率

山口良忠

亀尾英四郎

米穀配給通帳

典拠管理データベース: 国立図書館

日本


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